2006年11月号 | ||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.65 |
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温 故 知 新 | ||||||
村上高校関東支部の幹事として会運営のお手伝いをさせて頂いている14回生の佐藤です。今年6月17日に四谷のスクワール麹町会館で開催された総会の席上で赤見会長さんから直接この原稿を依頼され、重責ではあったのですが筆を取らせて貰う事になりました。 何故私たちが14回生なのか最近まであまり意識していませんでした。昭和23年に旧制村上中学校から新制村上高等学校になったその年の卒業生が一回生で我々37年卒業が14回生になるということだったのです。 村上町が市制になった年が小学校5年の時で紅白の饅頭が配られ喜んだことや、大きな講堂の中で授業前から町内ごとにグループをつくって集り、相撲をとったり先輩が飛箱変わりに後輩を寝かせての転回などをした光景が今でも懐かしく思い出されます。中学在学中に一部鉄筋の立派な建物に変ったこと、高校に入った年には立派な体育館も出来ました。その記念行事の一つだったと思いますが、稲葉修さんが当時はまだ若い代議士だった中曽根康弘さんを連れてきて「中曽根君は自民党の青年将校といわれ、これからの日本を背負って立つような偉い人になるはずです」との紹介から講演を聞いたことを覚えています。最近、プール事故が大きな問題になりましたが、高校のあの飛び込み台付きの深いプールで遊んだ事など想い出深いものがあります。 私たち村上っ子は小学・中学・高校とスムーズに行けば地続きの直ぐ隣の校舎に進学でき、大きなグランドや校舎も共有できていたような気がします。それだけに仲間意識は非常に強かった反面世間知らずで、汽車通学してくる同級生がものすごく大人に見えたものです。 「故郷は遠くにありて想うもの」今でも年一・二回は必ず里帰りをしています。海に山にと恵まれた環境、いつも帰るととび廻っていますが、今年は自転車でゆっくりと小さい時に遊び廻った二之町・三之町・飯野周辺を散策してみました。桜ヶ丘高校のあったあたりは随分変わっていましたが、昔を十分思い起こさせてくれる藤基様や、お稲荷様に続く細い小路はまだ残っており嬉しく思えました。 現在の我実家は東北電力手前からお城山に向かう通りに面しているので、帰るといつもお城山には登ります。入口にたつ村上城跡保存育英会が村上鮭の子の本部でした。山への登り道はすっかり整備され楽になったはずですが息切れしてしまうのはやはり年のせいでしょうか。立派な石垣の上にいつか天守閣が再現できれば良いのにと願わずにはいられません。 最後に、実家の兄から村上郷友会について最近聞いた話なのですが明治・大正の時代、村上選出の代議士であり早稲田大学の創立にも関ったという我祖父佐藤伊助が全面的にこの郷友会を支援して今日の基盤を築いたものであることを知りました。往時の理想が今に受け継がれて隆盛発展を続けていることを嬉しく思います。 私も44年勤務した(株)イワキの役員定年に伴い、この秋に退職することになりました。これから第二の人生をより充実させるため、改めてスタートさせようと思っています。今後は村上の先輩達との交流なども大切にし、皆様のお仲間に入れて頂こうと思っていますので宜しくお願い致します。 |
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