「お母さんー!」私は瀬波の海で何度も大声で叫びました。人が聞いたら何事かと思われるかも知れません。この“お母さん”とは日本女性初の宇宙飛行士向井千秋さんの実母内藤ミツさんです。私が村上の瀬波温泉の海岸をご案内した時のこと、当時“お母さん”のお歳は70歳ぐらい?ではなかったかと思います。海で海水浴をしましょうという事で、多少年齢からも日光浴程度かと思い私も気軽に二つ返事で行きましょうと、おつれした時の事です。海を見たとたんに海岸を背に垂直に沖へ向かって泳ぐではありませんか、プールと違って戻ってくる体力を考えに入れているのかなという心配が先に立ち、大声で早く戻ってくださいと叫びました。聞こえているのかどうかはわかりませんがご本人は沖をめざして泳いでいます。本人の顔が確認できない様な所あたりで、我々の方を向いて手をふるではありませんか、とっさに私は助けを求めているのかと思い、同行した雅文さん(向井千秋さんの実弟)に早く助けに行かなくてはと顔を見ると笑って「大丈夫ですよ母はいつもこうなんだから」という返事が返ってきました。戻ってきたお母さまの一声は「瀬波の海はきれいね」とハァーハァー言うこともなく何事もないかのように笑って話すではありませんか、この時、流石に千秋さんのお母さまだと感服してしまいました。
その日の夕餉には村上の郷土の味を楽しみ、ご満悦の様子で次の日お帰りになりました。
村上出身でもない私がなぜおつれしたかと申せば私の親戚に村上出身の稲葉大和氏がいまして選挙がある時には私が大学の時代からこの村上に来てお手伝いをしていた事がそのきっかけになっています。都合のいい事に、夏あり冬ありその季節毎に選挙があり村上の四季の良さを体感し、自身をもって人にすすめる事が出来たからです。ちなみに向井千秋さんの実弟、雅文さんとは大学院時代に友人となり家族ぐるみのお付き合いをしているために雅文さん家族と私の家族全員で機会ある度に旅行に行っています。この原稿をたのまれましたのは毎回の選挙でいつもお会いし、尊敬申し上げる蜂屋千代さん(鮎っ子物語前号執筆者)そして、仕事関係で知り合いました郷友会会長赤見市郎先生ご両人からであり、人との縁の大切さとこの村上に関係する随筆に執筆できた事に感謝申し上げます。
|
稲葉 秀雄
(いなば ひでお)
|
昭和40年東京都北区滝ノ川小学校卒業
(株)日本私学通信社 代表取締役
(社)全国学習塾協会 専務理事
(財)日本生産教育協会 理事
(NPO)学習塾全国連合協議会 事務局長 |
向井千秋博士お母様講演会
筆者左から2番目(当社社員と共に) |
向井千秋さんの実弟(内藤雅文氏)
左から3番目
内藤雅文氏ご自宅にて(当社社員と共に) |
|