http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2005年3月号

   リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.46

鮭っ子・鮭っ子・鮭っ子


 昭和25年頃夏、開襟シャツ、麻の上下のスーツ、肩には蛇腹カメラを下げ、洋行帰り風の人が加賀町の実家に入ってきて、「姉さんこんにちは」と、ニコッとした。私の祖母が「オーオ、久しぶりだネー、何時、きたんけ」と言って懐かしそうにしていた。

その方は田村幸太郎さんです。田村幸太郎さんは、祖母の弟さんで「鮭っ子」の大先輩です。

「姉さん写真とってあげるよ」と言って中庭で蛇腹カメラの蓋を開け、私と一緒に撮って後日送って頂きました。今、写真を見るとその頃の様子が脳裏に浮かんできます。
後に私がカメラマニアなったきっかけかもしれません。

田村幸太郎さんは、村上中学校第5回(明治41年3月卒業)国民学会高等科研究科卒業。上海高岩洋行、米国貿易会社を経て、日本ナショナル金銭登録機株式会社に30数年勤務、昭和33年定年退職されています。

私は今、満63歳です。思えばいろいろ年月の計算をしていくと、田村幸太郎さんが63歳の頃私と出会ったと思えます。

 昭和40年代のころ、東京杉並区の本屋さんで立ち読みしていて何気なし仕事に使いそうな本はないかと上の段を見たら「販売の五大原則」田村幸太郎訳があった。早速買いました。懐かしかった。今でもその「販売の五大原則」の本を持っています。

 私は現在、東京で潟Jナエ(旧カナエ産業梶jに勤務しています。土木資材の販売をしている会社です。入社は昭和38年9月、まだ中央大学4年生の秋のことです。人手が足りないから入社面接後、翌月から勤務しました。学校は卒業試験のとき休暇あげる約束での入社です。

 入社の経緯は、母親が知り合いの村上市掘片に在りました「すずめや書店さん」の紹介で千葉県習志野市にあった岩船学生寮に入りました。その学生寮の寮監をしていた、元法務大臣稲葉修先生の秘書であった益子一郎さん(後に新潟県会議員)の、村上中学校同級生第33回(昭和11年3月卒業)の半田信善さんが常務取締役でおられました。その方々の紹介で潟Jナエに入社し、営業部に配属になり、村上近辺の国鉄羽越線複線化工事、長野県梓川渓谷のダム現場、等の営業をしていました。会社勤務の傍ら、日曜日に中央大学経理研究所に通い、税務会計の勉強をしていました。昭和49年、初代社長に招かれて、経理責任者に抜擢されました。法人税確定申告書に経理責任者自署押印欄があり社長に、ここは誰の名前で出すか聞いたところ、「平山君、君の名前書いていいんだよ」といわれ、書く手が震えた。武者震い? 昭和63年に会社の役員(取締役経理部長)にして頂き、現在に至っております。

 益子一郎さんご夫妻には大変お世話になり、今私が在るのも、親兄弟はもとより鮭ッ子先輩方々のお陰かと有り難く感謝しております。

平成17年3月末を以って永年勤務した潟Jナエを卒業させていただく予定です。



平山 進
(ひらやま すすむ)

昭和29年3月村上小学校卒業








田村幸太郎さんの翻訳書















筆 者
潟Jナエ役員室前で撮影 
平成17年1月25日
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

「鮭っ子物語」バックナンバー
次回予告
細井 ミツ子(旧姓富樫)
(ほそい みつこ)
昭和28年3月村上小学校卒業 


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