http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2005年2月号
リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.45


「海府の浦」

 校歌の一節に「海府の浦は千仞の・・・」という一句がありますが、在学中は、何も考えずに歌っていたこの一節が、今遠く離れた土地にいますと、胸に響くものがあります。
 子どもの頃から、高校卒業まで海の側で暮らし、海を見ない日がなかったからでしょうか。海府では、昔は生活のために海草(主に天草)を採り売って生活費の一部にし、戦後は海水を煮つめて塩を作り、足りないお米と交換していました。小学生も学校から帰ると、海の水くみの手伝いをしました。中学年の頃は学校でも天草採りがあり、干して売った代金で、学校の教材(ボール等)を買っていました。今は天草もほとんど採れなくなった様ですが、春になると青のり(青さ)・ひじき・冬は岩のりと海の幸が豊富でした。

 東京で就職する時、履歴書を提出したある学校の校長に「上海(シャンハイ)中学の卒業ですか?」と問われびっくりした思い出があります。上海府中学も今は村上市に統合されてなくなり、その後に上海府小学校が建っています。小学校の頃は、休み時間にも浜辺へ出て遊んだり、時には担任の先生に海辺で本を読んでもらった事もありました。波の音を聞きながら心地良い気分になったことを思い出します。

 村上高校へは汽車で通いましたが、朝は7時頃の列車に乗り、帰りは村上発5時半頃の混合列車(貨物車に客車が連結している)で、トンネルの中に入ると煙がもくもく出て大へんでした。今はSL列車などと観光用に使われていますが、当時は石炭をたいたSL列車の通学でした。冬は列車の遅れが多く、遅刻して教室の後ろからそうっと入ったものです。きびしい先生には「列車が遅れたのか、列車に遅れたのか」と問い詰められ、小さい声で「吹雪で列車が遅れました・・・。」なんて言った事があります。

 郷里村上(早川)へは年に3〜4回帰省しますが、子どもの頃気づかなかったいろいろな発見があります。季節ごとに粟島近くに沈む夕日の風景が変化し、波にキラキラ輝く様子は美しいものです。山の端に月が出ると、光線の関係で青白く見え「月がとっても青いから・・・」の歌そのものです。夏の星空もきれいです。北斗七星、夏の大三角など、素人でもはっきり星座を見分ける事が出来、空気が澄んでいることを実感します。
 今年の秋(11月末)帰省した時、日本海で鮭が沢山とれているという話を聞きました。三面川へ上る鮭が途中の小さな河川にまよって上ったのかも知れません。偶然通りかかった先輩の方に生きのいい鮭を一本戴きました。帰宅前でしたので、半分は焼いてしょう油漬けにし、半分は味噌漬けにして持ち帰りました。友人や隣人にも分けてあげたら「おいしい。」と言われ「さすが村上の鮭、油がのっていてとてもおいしい・・・」とほめてもらいました。
これを機会に又村上の鮭のファンになれそうです。
そして四季ごとに変化する海府の海がいつまでもきれいな海であって欲しい物です。

木藤 克子(旧姓長谷部)
(きとう かつこ)

昭和25年3月吉浦小学校卒業
第8回村上高校卒
元東京都公立小学校教諭
東京都在住







友人と沖縄旅行の時(2004.2)
筆者中央




















夕日に染まる粟島
海府の海

































リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

「鮭っ子物語」バックナンバー
次回予告
平山 進
(ひらやま すすむ) 
昭和 29年3月村上小学校卒業


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