2005年1月号 | ||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.44 |
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●貧しい頭の中で拵えた人間なんか、薄っぺらで通り一遍だ。 豪快な人間、ずるい人、飽きっぽい性格、と頭で考えても、役の人物が浮かび上がるわけではない。だから、自分の身の回りにそんな人を探す。豪快なら挙措動作の尊大だった歴史の教師だ。ずるいなら、偏屈なジッちゃんと着物の裾ばかり気にしていたバッちゃんを掛け合わせればいい。飽きっぽいなら、母の能天気な口の利き方だ。その人がどういう食べ方をし、どういう肩の落ち方、消え方をしたか、どういう靴の紐の結び方をしたかを投影すればいいのだ。 その人たちのお蔭で、登場人物はみるみる具体的になり、笑ったり、泣いたり、怒ったりした。 家族、親戚、友人知人、見た人聞いた人、みな僕のモデルだった。 その逆もある。先日放送された『砦なき者』では、テレビマンを演ずる役所広司さんが僕を真似た。黒のキャップにサングラス、これまた黒の上下にジャンパー姿の役所は、暗がりなら僕そのものだ。視聴者に語りかける遺書まがいの長い台詞もそっくり僕の口調だ。見回すと、現場のスタッフが泣いている。僕と役所が渾然一体となってしまったのだ。真似ることも芸の秘密なのだ。 ●長い形のいい首、細おもて、なで肩、瞳を入れ替えれば“モジリアーニ”になる。だから、絵の教師がつけたあだ名が“モジ”。そんな幼友達がいた。 「ぼうっと眺めていると、首の長いあいつの姿が酒瓶に見えるんだ。あいつは人を酔わせる!」 思い迷っている面持ちのモジを、教師ですら、信仰の対象にし、昼も夜も、ピカピカに色づいた。モジはまだ中学生だった。 京都木屋町に抜けるトンネルの路地に、鴨川千鳥の意匠で「通り抜け出来ます」の表示がある。そこにモジが立っていた。セーラー服の彼女が、医者の奥さんになった。和服を着ていた。 建仁寺に、大鐘、小鐘が響きあう“だらにの鐘”がある。舞妓のだらりの帯に重ねたらしい。その共鳴を聞きたい、とモジが言う。 串揚屋で鐘を待った。日本酒を飲んだ。モジも切れ長の目に勝気を浮かべ、厚くなった唇に酒を流し込んだ。 いつの間にか、モジの着物の裾が乱れ、足袋の奥の太股まで覗いている。正座が胡座に変わった。目は薄桃色に潤み、白い顔は風に揺れる和紙のようだ。バッグから自前の洋酒を取り出し、マニキュアの光る指で喇叭飲みをする。 突然、サーカスの曲芸師のように両足を突き出した。 ひそかに笑みを漏らすと、ブリキの猿がシンバルを叩くように、足の裏をパタパタと合わせ始めた。「止めろ!」というには余りにも真剣な表情だった。 それに飽きたか、よじれた背中を巧みに返すと、壁に向かって逆立ちをした。剥ぎ出しの下半身がひどく猥雑で息を呑む光景だった。 「私の赤ちゃんを返して!」 そういうと仰向けに倒れた。すらりと伸びた両脚がコンパスのように全開になっている。抱え起こそうとした僕の手の甲を鋭く抓り上げた。 「嫌な奴!私をボロボロにして。あいつのせいで子供は死んだ。だから私も天国に行く!」 立ち上がったモジは、子供を抱く仕草で踊りだした。その口から北陸の子守唄が流れて。 病院に着くまでのモジは、苦痛と忘我の一人芝居をしているようだった。 存在しない子供と戯れ、夫に悪罵を浴びせる。 彼女に、どんな日々があったのだろう。 モジは、重度のアルコール依存症になっていたのだ。 ●彼女をモデルに、『アル中の女』という二時間ドラマを作った。 旧華族の長女(浅丘ルリ子)には、誇り高く冷たい母(久慈あさみ)、婿養子で出世願望だけの夫(高橋幸治)、「姉の夫だから欲しがる」妹(夏目雅子)がいた。長女の発散することのない逃避の酒は、日毎に量を増し、流産を繰り返す。自販機の酒で、警察の世話にもなった。激しい雨の中で隠れ酒をするうち、夫と妹、夫と母の情事を目撃する。全ては幻覚なのか。夢まぼろしの中で長女は夫を殺す。そんなストーリーだった。 モジと建仁寺に行ったのが二十歳の後半。モジをヒントにドラマ化したのが四十の前半。まったくのフィクションなのに、幻覚に襲われ踊り狂う浅丘さんが、若き日のモジとダブって、心臆する仕事だった。 放送が終わって、音信不通だったモジから電話があった。「今日のは良かったわよ。あなたに足りないリアリティーがあって。昔、私も飲んでいたから、気持ち、分かるの。ねえ、ラストシーン、うちと同じよ。義母さんボケちゃって車椅子なの。お風呂に入れるのって大変よ。老人介護がこれからのテーマね」 アルコール依存症を克服したらしい。 モジは嫁姑のイクサに勝ち、夫を愛人から奪還した。他人の家に自分好みのふるさとまで作った。だから、女は凄い。 それにしても、ラストが似てただけで、自分がモデルだとは少しも思っていない。テレビは、常にひとごとなのだ。だから助かってもいるのだが。 ●来月から撮影の始まる宮沢りえ主演のドラマで不思議な母親が出てくる。 即興的というか、ひたすら妖しい女である。鍼の先生と浮気をしている。果敢にフラメンコを踊る。何故フラメンコなのか。脚本を作っているときはそれなりの説得力があったのだが、いざ本番となると、実体が浮かばない。いつか、モジから、フラメンコのリサイタルに出るという葉書を貰ったのが潜在意識にあったのか。長い首となで肩のモジは、何故にフラメンコに惹きつけられたのか。もう一度だけ、彼女にモデルになってもらおう。 あの放送から二十年経った。 明日、モジと会う。 |
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