リレー随筆「鮭っ子物語」  No.28

ふるさとの思い出

 
 下渡山にお振り袖着せてと村上甚句にあるように、この山は雄大で稜線があでやかで、実家のある下相川からの眺めがすばらしい。それに沿って流れる三面川は、あまりにも有名である。兄が真夜中に釣り上げた鮭を塩引きにして送ってくれるのを楽しみにしている。その支流である門前川で、九つ歳上の兄の背中で泳ぎを覚え、子供のころから鮎、うぐいなどをつかまえて遊び、この川で自分が育ったような気がする。

昭和十五年四月山辺里小学校入学、担任は野口ヒデ先生、四年、六年生のときは江見秋平先生であった。大平洋戦争中、国民学校に変り、疎開してきた友達と一緒に勤労奉仕にあけくれた激流の中での六年間であった。今は亡き二人の恩師は、長年当校で教鞭をとり、多くの教え子達から今でも慕われている。
戦後には、新しく着任した新進気鋭の村川圓冶校長が、学校教育法制定をふまえ、戦後の教育を地域住民に理解させるため、公民館活動を展開、学校、家庭、社会の三位一体となった教育振興と公民館の発展に努力し、山辺里公民館が、昭和二十四年文部大臣全国表彰を受け、今でも村川校長の偉大さが、語り継がれている。

村上大祭、十六歳にして神輿を担ぐ、白装束に身を固めた青年強力達にまじって、三基の神輿を羽黒神社から降ろし、各町内を回り夕方石段を登り、社殿で神輿を天井に届けとばかりに威勢よく、最後の力をふりしぼって持ち上げ、その神輿の鳴り響く音が今でも強く頭に残っている。今は、台車で回るとのこと、何か淋しい気がする。羽黒神社に奉納する十九台の屋台は圧巻、また、久保多町の屋台小町坂一番登りは豪快であるが、夜のしじまに響く笛、三味線の音色はなんとも言えない、一見の価値あり、第四銀行の塀に登り見たのである。

村高を巣立って半世紀、私共百五十名の四回生は、励まし合い、百歳を目指してと銘打って、昨夏、村上在住の阿部昌彦さん、佐藤忠さん達の世話で、汐美荘で一泊二日の同期会があり、四十三名出席し、夜遅くまで、それぞれの人生を語り合った。友二割の三十名が他界されていたのが残念であった。

 実家の菩提寺、金澤山阿弥陀寺で、神林村山屋にあり、山、竹林を背にした閑静なところにある。川村家先祖がこの寺の住職を勤めたことがあり、特に思い出深いのである。子供のころ親に連れられ、羽黒町経由で歩いて一時間余りの道程りであったが、今は山辺里大橋を渡ればすぐである。帰省の折には兄とよく訪れる。大正から昭和にかけて、四十年以上に亘り住職を勤められた、今は亡き阿弥陀二十五世安澤全應和尚の読経と語り、子供ながらによく聴いたものである。また、やさしく迎えてくれた奥様のことなどつい昨日のように思い出される。このたびこの寺が、改築落慶を迎えたとのこと、誠に慶賀の至りである。なお、この大和尚は、本町小学校で教鞭をとられた安澤操先生の父君である。

東京消防庁に身を投じ、東京目黒区にある小和田邸周辺地域を担当する消防の責任者として、雅子様の御婚礼を見届け、翌年平成六年三月、四十一年六月の消防人生に終わりをとげたのである。

村上市が、歴史の町として更なる発展をしていくことを期待してやまない。


                
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
川村 正
(かわむら ただし)

昭和9年2月1日生(69歳)
昭和21年3月山辺里小学校卒業
昭和27年3月村上高等学校卒業
同年 東京消防庁採用となる
平成6年4月同庁人事部厚生課 嘱託
現在 東京都板橋区シニア防災リ−ダ-
 を委嘱されている。




臥牛会スタイルで筆者











昭和57年、30年ぶりの再会
大町の三人(右から二人目筆者)





昭和十五年山辺里小学校入学同級会
(後列右から二人目筆者)





改築落慶となった阿弥陀寺全景
















次回予告
  川上 孝(かわかみ たかし)
昭和19年3月岩船国民学校卒業
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