リレー随筆「鮭っ子物語」  No.26

遠 い 昔

 
 原稿依頼を受けて、村上の時代を振り返ってみると、もうはるか昔のことになって、記憶も薄れてしまいました。

「鮭っ子物語」bQ2で稲垣恵造君が触れていたように、確かに私は「村上藩士」の末裔で、小さい頃「鮭っ子奨学金(名称は定かではありませんが・・・)」を貰った記憶がありますし、小学校の頃には毎年12月になると採れたての鮭が配られましたが、それも有資格者(旧村上藩士の係累と思われる)の家一軒あたり1匹であり、雌・雄や大小の違いがあることから、何人かが集まって抽選をしました。我家はどういう理由かは聞いていませんが、2軒分の資格があり、いつも私が母に連れられて抽選に臨み、雌・雄各1匹を引き当てて、褒められたことを思い出します。

 鮭は母が塩引きにして軒先に吊るし、大晦日の夜のご馳走になりました。今でも大晦日には塩引きを食べたいのですが、妻は広島県出身で、小さい頃から大晦日には「鰤」を食べる習慣があるようで(食生活では妻が指導的立場にある)、残念なことです。
しかし、今は同級生で面倒見のよい佐藤三典君が毎年秋に塩引きを送ってくれるので、この村上の味を堪能しています。

 私は男兄弟4人の末っ子ですが、父が職業軍人で転勤があり、兄弟で生まれた場所はみんな違います。私は中蒲原郡村松町で生まれ、国民学校3年までそこで過ごし、昭和21年、4年のときに村上町本町国民学校に転校しました。翌年2つの国民学校が合併して村上町立村上小学校となっています。(我家には国民学校1年から大学までの成績表が保存されており、これらによって確認しました。)その後村上中学校、村上高等学校に進みましたが、高校卒業後は大学進学で村上を離れ、その後就職して西宮、明石、東京と住所は変わりました。当時の村上の家はその後すぐに売却してしまい、先祖や父のお墓も移設したため村上市とは今では縁遠くなってしました。今考えると、村上は私の人生67年間の中では昭和21年から30年までのたった10年間を過ごした土地にすぎません。

 しかし、中学、高校時代は野球部で活躍(?)し、当時の友人たちとは今も親しくさせてもらっています。人生の中で一番多感な10年間を過ごした村上はやはり大事な故郷と考えています。


                 
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)






水野 貞
(みずの ただし)

昭和24年3月村上町立村上小学校卒業
村上町立村上中学校
  昭和27年3月卒業
新潟県立村上高等学校
  昭和30年3月卒業
その後大学を経て損害保険会社や特殊法人に勤務、平成15年3月完全リタイア






 職場退職の日に






城下町村上名物塩引鮭







次回予告
横尾 美保(よこお みほ)
2003年5月17日開催東京村上郷友会出席者
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