リレー随筆「鮭っ子物語」 No.22 | |||||||||||
「この列車でも来ないのかと心配したぞ」本間岩雄さんが言った。私は長野新幹線・佐久平駅で、時計の見まちがいをして列車に乗り損ね、予定より二時間も遅れての小淵沢到着だった。私は自分のうかつさに顔を赤らめながら、七人に頭を下げた。 男性四人とはともかく、笠原順子さん、林節子さん、石本保子さんの女性三名とは高校卒業以来なので、四十七年ぶり、ほとんど初対面といってもいいほどのものだった。 私を入れて合計八名が、社会福祉法人しあわせ会−知的障害者厚生施設−「白州いずみの家」を訪問しようと、連絡を取り合って、小淵沢駅を集合場所として集まったのは、二〇〇二年九月三〇日のことだった。 斎藤実さんは高校の教員時代から「しあわせ会」の理事長をしている。彼は自閉症の長男を助けようと、仲間を結集して会を立ち上げ、「白州いずみの家」を作った。私は彼の、同じ悩みを持つ人々と力を合わせ、精力的に活動する姿に敬服していた。 彼が教員を退職し、理事長に専念し始めた今年、私は念願の「いずみの家」訪問を実行しようと思った。私は彼の苦労話を聞き、どのようにして、そのたくましい行動力を培い維持してきたか、その源泉を知りたいと思っていたからだった。 その時は一緒に行くと言っていた中村泰而さんを誘った。彼は大町の「又四郎書店」の出である。輪は広がって、斎藤さんの行動に関心を寄せ協力していた人々が、この機会にと集い始めた。 三人の女性は早いころからの協力者だったようだし、本間岩雄さんも水野貞さんもそうらしい。水野さんは村上の侍の末裔で、きっすいの「鮭っ子」である。こうして、総計八名が、この日小淵沢の駅に集まったのだ。 二時間遅延の私を待って、「小淵沢見物をしたから良かったよ」と、遅れた理由を問うこともなく、笑いながら許してくれたが、それはなにより、同じ土地の空気を吸って育った者への連帯感といたわりだったのだろう。 いずれも昭和二十七年三月中学校卒で、村上高校を三十年三月に卒業している。村上の町の空気を吸い、お城山に登り、三面川に泳ぎ瀬波の浜で語り合った青春の一時期を共有した者同志の寛容のこころだったろう。 斎藤氏の奮闘物語を聞き、施設の見学、入所者たちとの交流を終え、この夜の、山宿での宴会、そして語り合いと八人の交流は心地よく続いた。その底流を流れるものも、三面川の流れであり、私たちは流れを遡行する鮭っ子になっていたのだった。
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白州いずみの家ホームページ http://www.eps4.comlink.ne.jp/~izumi-ie/
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