村上市史写真展 村上広域情報誌2001

明治から昭和30年代までの人びとのくらし
            資料提供:村上市郷土資料館

           商 工 業


山辺里織り(昭和5年)
洋服の裏地はサベリの名で海外にも輸出され、
衿地は山辺里平として仙台平を凌ぐものとして三越・白木屋・松坂屋で売られていた。
その織元山辺里機業株式会社も昭和53年に工場を閉じた。

 機械化が進みつつあったが、まだ発展の途上である。職人の存在が大きかった。商大も単に物品を並べて販売するのみでなく、こぎれいに陳列しようとする意識が高まりつつあった。一部に江戸時代の面影を残し、明治という新しい文明の影響を受けながら地域の経済を支えていた時代である。
 その時代の人々の意気たるや軒こう、製糸業や茶業の工場化はもとより、さまざまな産業開発にいそしんだ。その姿勢には現代の人々も見習うべきものがあろう。


村上運送(昭和初期)
村上駅前にあった。現在の北越運送である。

居城自動車商会(昭和初期)
実用自動車、つまりタクシー業である。村上町−瀬波温泉金1円の看板が立てられ、5人まで乗車できた。

信越製糸株式会社(明治期)
村上町と長野の製糸会社社長越寿三郎が共同で設立した会社である。敷地15,000坪、資本金200万円であった。工場を閉鎖したのは昭和5年。

信越製糸株式会社(明治期)

信越製糸株式会社(明治期)

新潟貯蓄銀行村上支店(昭和初期)
昭和元年に村上で最初に建てられたレンガ造りの建物で、小町坂の上に現存する。

岩船銀行(大正初期)
明治41年10月に松野尾銀行本店として開業。翌年2月に岩船銀行と改称、大正12年12月村上銀行岩船支店、昭和13年6月第四銀行岩船支店となった。

缶詰工場(大正初期)
岩船港の近くには魚を加工する缶詰工場があった。女性たちは手ぬぐいをかぶり、かっぽう着やたすき姿で仕事に励んだ。

越陽館村上製糸工場(明治43年)
明治30年6月に高根村関口に工場ができ、同41年6月に鍛冶町裏の村上工場を設立した。第一次大戦後の大恐慌で廃業した。写真は活況を呈していた頃の製糸場の風景。

酒田屋(明治44年)
明治元年創業の老舗の菓子屋。火鉢にあたる祖母と母子が見える。中央には当時まだ貴重だったガラスをはった陳列ケースが見える。

銅太看板店(大正後期)
商業の発展とともに看板店も栄えた。

赤小旅館(大正後期)
現在の庄内町北川通りにあった。間口が20間もある大きな旅館だった。女性は着物姿に前掛け、子どもはエプロン姿である。

サイダー製造元(大正末期)
はっぴに藤印サイダーの文字が見える。
現在の大町早撰堂。

表 紙 | WEB情報 | サイトマップ | バックナンバー | 検索・リンク 
発行:デジタルショップ村上
新潟県村上市・岩船郡7市町村 月刊デジタル情報誌 2001年1月1日創刊 ムラカミ21ドットコム
(c)2001-2003murakami21.com All rights reserved
Produce by Takao Yasuzawa