リレー随筆「鮭っ子物語」 No.29 | ||||||||||||
故郷を離れた者に何が言えるのか。しかし離れていればこそ募る望郷の歌。 「鮭っ子物語」にペンをとることになったが、私は鮭っ子ではない。歴とした岩船っ子である。 東京には125年の歴史ある村上市郷友会があるが、村上の町の人の出席は僅かで誠にさびしい。山北や朝日村の会合は盛んで熱心と聞く。岩船出身者の磐樟会は年2回集まるが、女性が多く賑やかである。 昨年来町村合併の話が進んでいるが、本当にベターなのか十分に議論してほしい。山とか川のお蔭様をもって、夫々の特徴で地域が成り立っているのだから、地域性や人間性の良さが失われないよう、単に数字の論理でなく、これから先の展望を明確にし共有できるものでありたい。合併したら村上の人は呑みこまれはしないかと危惧する。本町衆も駕篭にも乗り時には担ぎもし、ワラジも作ったらどうだろうか。居場所が無くなるかもしれないから。 前時代的な「鮭の子」にこだわるのは聞いていても心苦しい。 村上は何をもって市を地域を発展拡大して行くのだろうか。産業なのか観光なのか外部の人間にはそこが見えない。 鮭と川と城山と言うが、城のない城山にどれだけの人が惹かれるのか。フラワーパークでもないし。城址保存会とか城跡整備委員会があるようだが、観光の目玉として城郭復原のスピードある動きは感じられない。 この春、小さな城郭のある城下町へ花見に出かけた。村上には焼けて城がないと言ったら空襲ですかと。いや幕末ですと答えたら笑われて話は打ち切られた。笑いの意味が私にはよ―く分かって身の小さくなる思いだった。 大観荘の佐藤社長が話していた。ハコ物を作らなくとも、お客様に自分が住んでいる地域と違ったイメージを感じさせればと。満足感を与えられるかどうかである。「温泉街を歩かせる」仕掛け作りに取り組むとか。リピート客を迎えれる温泉に変るのを待ちたい。 年に数回村上に温泉に出かけるが、昼にしろ夜にしろそぞろ歩きさせる何かがない。観光スポットを巡る観光シャトルなどの便が良くないから(バスマップ)、結局なにも動かないで帰ってしまう。 村上は行き止まりのようだ。先へも伸びないし面としての広がりにも弱い。日沿道が北までつながり新幹線が走らなければ、交流人口も増えないし物流も生きてこないのでは。 特産品の村上塩引鮭の評価が定着し確立されつつある今こそ、切腹しない美味しい鮭=村上塩引鮭と明確にし、そのイメージ(商標権・肖像権?)を確立しては。村上でもないのに塩引鮭とされるのは困る。食すれば万人がうまいと言うのだから、食べたことのない人に食べさせる戦略を考えたら。 そして宅配便の個数を増やし料金を半分にする努力をする。400円位にはなるのでは。一軒でなく異業種でも合同で個数をまとめ値下げ交渉するチャンスだと思う。 3000円以上のお買上は送料0円にして初めて全国区で勝負できるはず。良いものは送料もらっても売れるだろうが、デパートには適わない。 旅の楽しみは食の楽しみでもあるが、その食事処がさびしい。とくに昼の食事、日本そば(手打ちそば)、食の専門店がない。これでは観光が、旅が味気ないものになってしまう。 町村対抗の運動会が、毎年町校グランドで行われた。夕方遅くまで練習に励む選手、町をあげての応援、岩船魂というのか異常なまでの盛り上がり、大合唱の応援歌。あの情景が忘れられない。第一と第二の応援歌があるが、磐樟会では飲むほどに男も女も年寄も故郷を懐かしみ高らかに歌う。大声で故郷にエールを送ろう。 私は岩船っ子である。でも越後村上の塩引鮭なしでは年を越せないから、やはり鮭っ子なのか。 2003年7月
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