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リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.264 |
令和7年10月発行 | |||||||||||
満州引き揚げから80年 |
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今年は戦後80年の年ということからテレビなどで盛んに当時のことが報道されています。そこで以前長兄が記録していた我が家の満州からの引き揚げの様子を書いたものに再度目を通してみました。当時私はまだ三歳になったばかりの幼子でほとんど覚えはいませんが、兄の記録をもとに自分なりに当時の苦難の様子を綴ってみました。 昭和15(1940)年春、その一年前に単身で満州哈爾浜(ハルビン)市の郵政監督局に赴任していた父のところへ、母が当時5歳の長男廣と3歳の守兄を連れて満州に渡りました。満州というのは、昭和のはじめ大陸に進出していった日本が中国大陸に昭和7(1932)年に建国した国です。そして多くの日本人が大きな夢を抱いて満州に渡ったのです。 故国はるかな満州の地で我が家の新しい生活が始まったわけです。当時の哈爾浜(ハルビン)で日本人の人口は10万人以上あったといわれ日本人の小学校(当時の国民学校)も数校あり、昭和16(1941)年4月に兄は白梅国民学校に入学しました。後で判ったことですがこの学校の1年先輩に俳優の故宝田明さんがおられたとのこと、そして宝田さんは戦後ご両親の出身地である村上に帰りしばらく村上で生活されたといいます。 満州のハルビンの街は大正6(1917)年のロシア革命の折、本国を逃れた白系露人が築いた都市といわれ、壮大なロシア寺院やモダンなデパート等、東洋には珍しい立派な建物も多く、大河スンガリー(松花江)には近代的なヨットハーバーもあったといいます。 大東亜共栄圏の要としての満州・ハルビンでの我が家の生活は立派なレンガ造りの公務員官舎で豊かで平和な日々を過ごしていたようで、こんな穏やかに生活していた昭和18(1943)年の9月に私は生れました。 昭和20(1945)年8月、日本の敗戦で日本人の生活は一変します。何より終戦の前後に、不可侵条約結んでいたソ蓮軍の無法な侵攻によって在満日本人の生活は一変したのです。戦後の厳しい暮らしで、親や小さい子供達はほとんど外出も出来ず、当時わずか11歳の少年だった長男が一家の生計を助けるために、極寒の街に出て新聞売りをしたといいます。 敗戦の翌年の昭和21(1946)年、我が家は着の身着のままで日本へ引き揚げました。それまで住んでいた官舎に押し掛けた中国人達が残された家具や大切にしていた品々を奪い去る様子は本当につらいものがあったといいます。 当時父はシベリアに抑留されていたため母が赤子だった弟を抱き、小学生の長男がまだ3歳だった私の手を引いての行動だったそうです。兄は母からどんなことがあっても勝の手は離さぬ様、きつく言われ必死だったとの事です。もしその時、兄の手を離れ置いていかれたら私は中国残留孤児になったわけです。 駅では無蓋(むがい)の貨物列車に乗せられハルビンを後にしたのですが、途中線路が破壊されていて、列車から下ろされ重いリュックを肩に赤子を抱えた母と、わずか3歳の私の手を引いて必死に歩いた兄の道のりはどんなにか辛かったことか。列車の中で泣き叫ぶ赤子は他の迷惑になるということからやむなく停車するときに、もし置きざりにされ、兄の手から離れてしまったら私達は中国残留孤児になったわけです。随分前に中国から多くの残留孤児が親探しのため日本を訪れました。そのほとんどは日本語を話せないのです。 吉林の町では旧兵舎の馬小屋跡に寝起きして炊き出しで残った焦げた飯を分けてもらうのに必死だったとのことです。終戦の昭和20(1945年)8月の半ばにハルビン出てから帰国への出港地の葫蘆島(コロ島)に着いたのは一か月後の9月中旬でした。そこに待っていたのは旧帝国海軍の駆逐艦「夏月」でした。玄界灘の波濤を越えるとき、大人達は船酔いに苦しみ船底に横たわっているのですが、少年の私達は甲板の大望遠鏡に掴まって荒波を楽しんでいたことが思い出されます。博多港に接岸しても頭からDDTをかけられの消毒などに手間取り、ようやく故国の土を踏んだのは10月を迎えた頃でした。 九州から満員の汽車で本土に渡り、焦土と化した広島や神戸を通過するとき、その惨状に目を覆いたくなった強烈な記憶は今も甦ります。関西から北陸と長い鉄道の旅を経て、ようやく懐かしの故郷、村上に無事帰りついたとき、大陸では見ることの出来なかった美しい山々に囲まれた大自然の懐に包まれる感激は身の震える思いだったそうです。 |
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令和7年8月 佐藤勝記す ※本稿は「いわふね新聞」の9月28日号に掲載された文章です。 「いわふね新聞社」の許可を得て、一部、加筆修正して転載しました。 |
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