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リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.261 |
令和7年7月発行 | |||||||||||||||||||
優秀な生徒、先生たちで活気に満ちていた村上女子高校時代(その2) |
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大物女優と作家が来校(つづき) 秋の記念式典に向かって着々と準備も進んでいた夏休み終わりの頃のある晩、10時頃私の家へ電話があった。「こんな時間に誰から」といぶかりながら受話器を取ると、「私は杉村春子です。いま水戸の公演が終わって、旅館から電話してるんですが」という。杉村さんからであった。 「マネージャーが私に無断で勝手に『杉村さんは村上女子高にはやれない』と言ったそうですが、私は校長先生に『行く』と約束したのですから必ずまいります」とのこと。杉村さんの誠実さが身に沁みてうれしくなり、涙が出る思いだった。 そうした経緯で大物女優と人気作家のお二人を迎えての講演会が実現したわけだが、無名の新設校としては例のみないものだったと思う。 杉村さんはひと足早く、9月5日においでになり、「私の歩んできた道」として講演。自己紹介後、「私は昔の女学校で音楽の先生をしていたことがあるんです」という話し出しが印象的だった。 水上さんは式典の翌日の10月4日、「生きがいについて」と題して話された。とても心に沁みる良いお話をされたことを思い出す。当時、町の人からは「折角だから一般公開してはどうか」とも言われたが、私は校長として、生徒のためにお呼びしたのであり、町の一般人に公開することはお断りした。 文化勲章辞退時に堆朱 2年越しの創立記念式典、記念講演も女優、作家おふたりの大物を迎えて行うことが出き、また生徒たちにも喜んでもらえて心底ほっとした。ご両人ともとても忙しい方であり、講演後、水上勉さんは校長室でのお礼の言葉を兼ねた談話もそこそこに村上駅へと向かわれたが、杉村春子さんとは付き添っていた文学座の若い女優さんとともに瀬波温泉で昼食をともにすることができた。 翌日、さっそくおふたりに礼状を差し上げたところ、ていねいな返事もいただき、その後、手紙を通じての交流も続いた。とくに杉村さんとは、ご本人が亡くなられるまで続くことになる。20通を超えるその手紙や葉書は今も大切にとってあり、いつだったかは忘れてしまったが、村上高校を卒業して文学座に入ったという男性が私の自宅にやって来てそれらをながめ、「杉村春子さんの手紙がこんなにあるとは」と驚いていた。 杉村さんからの電話があったときなどは「瀬波温泉お泊りにきませんか」と誘ったものだったが、「とても忙しくて」と言われ、実現することはなかった。その杉村さんから後日、「新潟で公演することになりました。ぜひお出でください」という電話をいただいたことがある。チケットをと調べると、その公演の主催は新潟市内の演劇鑑賞会で、会員以外は鑑賞できないという。 その旨を杉村さんに電話でお伝えすると「当日、奥さんと楽屋へお出でください」と言われた。そして夫婦で訪ねると、一番良い席の券をいただいた。確か明治維新の頃の鹿鳴館を舞台とした劇だったと思うが、もちろん主役は杉村さん。その演技力は「すばらしい」の一語に尽きるものだった。 『女の一生』公演だけでも900回を超えた杉村さんは、女優として3人目の文化功労者に選ばれ、1995年(平成7)年の文化勲章の候補にもあがった。しかし「自分はただの役者でしかない」と辞退した。なかなかできることではない。そこで私はその記念にと、村上堆朱を差し上げたところ、大変喜んでくださり、お礼の手紙をいただいたことが忘れられない。 すい臓がんのため都内の病院で亡くなられたのは1997年の4月4日。葬儀などには参列しなかったが、ご冥福を祈って合掌した。杉村さんは責任感が強く、また私のような一介の田舎教師ともその後長くお付き合いされた誠実な方であった。(次号につづく) ***** 今回のリレーエッセイは、私の父の安冨良英(1913-2010)が著書『櫻陰比輯(おういんひしゅう)』(2007年いわふね新聞社編集)から「いわふね新聞社」の許可を得てその著書の一部(pp.69-80)を転載したエッセイです。 なお、これから数回のわたって同著の一部を転載してゆきます。(安富成良記) |
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