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リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.260 |
令和7年6月発行 | |||||||||||||||||||
優秀な生徒、先生たちで活気に満ちていた村上女子高校時代(その1) |
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二代目の校長として赴任する新潟県立村上女子高校は昭和42(1967)年の4月開校で、校舎も新しく、活気にあるれていた。初代校長の阿部先生は郡内の中学校長やPTAにもお願いして優秀な生徒、真面目な生徒にきてもらえるよう働きかけたという。その成果も現れていたようであった。 開校3年目、昭和45(1970)年4月、私が村上女子高に着任すると、阿部前校長との校務引継ぎの折、阿部前校長から「自分は初代校長としてとても忙しくてまだ創立式典をやっていないので、ぜひ今秋までにはやって下さい」と言われた。それでさっそく職員会議でその件について相談をしたが、私が最も大事なことと考えたのは、女子高の創立記念なのだから、それにもっともふさわしい話をして下さる講師をどなたにお願いするかという点であった。会議では「生徒からアンケートを取って決めた方が良い」という先生方の意見が多かったので、それに従った。その結果、第一候補に上がったのは人気の女性作家であった曽野綾子さんだった。 夜行列車で杉村さん宅へ 村上女子高校の創立記念式典に誰を呼ぶか、アンケートの結果、生徒が選んだ中で一番多かったのは曽野綾子だった。勿論個人的な面識はない。人名辞典で住所を調べ、5月中旬に丁寧に手紙で講演をお願いした。ところが届いたのは断りの葉書で、「私は一切、学校やPTAでの講演はしないことにしています」とけんもほろろ。しかも緑色のインクの字だった。「同じ断るにしても誠実さが感じられないなあ」と思ったものだ。 再び誰にするか、また生徒に訊ねたところ、最も多かったのは舞台や映画、テレビなどで活躍していた杉村春子さんだった。すでに演劇部門で戦後初の芸術院賞も受賞している大女優だ。再び住所を調べ、「何とか秋においでいただけませんか」と、講演依頼の手紙を差し上げたところ丁寧な手紙が来た。「私はただの役者で生徒さんに講演するなど不向きです」「忙しくてスケジュールが取れません」といった断りの内容が書かれていた。折り返し、重ねてお願いの手紙をだしたら、「校長先生がそこまでおっしゃるのなら、式典の時に行けるかどうかは約束できませんが、その前後には御校へ行きたいと思っています」という、誠意のこもった返事をいただいた。 そこで「直接頼めば何とか引き受けていただけるのではないか」と思い、先生方にも相談して、私が自宅を訪れて直談判することにした。 その手紙を持って夜行列車に乗り、上野駅に着いたのは早朝だった。すぐに新宿のご自宅を訪ね、門の前で待っていると、やがてお手伝いさんらしき女性が出てきた。名刺を渡して面会を申し出ると、取次ぎの後、会ってくれるという。応接間に通されると、杉村さんは待っていてくださって、生徒が一番に杉村さんの名前を上げたことなどを説明して来校をお願いした。すると杉村さんは「校長先生がわざわざ夜行列車でおいでくださったのだから行きましょう」と言って下さった。意気が通じた思いだった。 学校へ戻って、先生方や職員、生徒にそのことを告げると、みんな「よかった」と喜んでくれて、私も行った甲斐があったと思って、その為の準備や手配などを思い描いていたのだった。しかしその一週間くらい後に杉村さんのマネージャーからの電話にがっかりすることになる。マネージャーを通さずに、直接本人に頼んだことも癇に障ったのだろう。「あなたの学校には行けない。日本の演劇界にとって杉村はかけがいのない存在であり、万一のことがあったらどうしますか」とも言われた。これには私もまいったが、その後、来校は実現することになる。 大物女優と作家が来校 創立記念式典を3ヶ月後に控えた昭和45(1970)年の7月、杉村春子さんからのマネージャーからの「講演にはやれない」という突然の電話にはまいってしまった。それで私はまた上京して文藝春秋社の本社ビルに向かった。そこには村上高校昭和28年卒、東大を出て入社していた藤本一男さんがいた。受付で面会を申し出るとすぐに会ってくれた。「誰かいい講師はいませんか」と頼むと、「水上勉はどうですか」と言う。直木賞作家で小説やエッセイも多く出していた。もちろん異存はなかった。藤本さんは紹介状を書いてくれて、また水上さんに電話もしてくれた。私はすぐにご自宅に向かった。 水上さんはすぐに会ってくださって、記念講演をお願いすると、「行きます」とすぐにご承諾いただき、「村上へは行ったことがあるんですよ」とも話された。物腰の柔らかな人という印象を受けた。私も肩の荷が下りた思いだった。(次号につづく) ***** 今回のリレーエッセイは、私の父の安冨良英(1913-2010)が出版した著書『 なお、同著は恐らく2005年から2006年頃にかけて、55回にわたって広域新聞「いわふね」の紙面に連載された記事を冊子にまとめた書籍です。このリレー随筆「鮭っ子物語」ではこれから数回のわたって同著の一部を転載してゆきます。(安富成良記) |
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