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リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.258 |
令和7年4月発行 | ||||||||||||||||||||||
大須戸能がつなぐ素晴らしい出会いと気づき ―2― |
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先月号に続いて寄稿の機会をいただきましたので、今月号では能そして大須戸能について書きたいと思います。 先月号でご紹介した仕事先でお会いした方は、その後、ご興味から大須戸能について色々調べ、またその興味は村上市の豊かな文化、食事、史跡にも拡がっていったそうで、近く村上を訪れてみる予定、とも教えてくださいました。ありがたいことです。 大須戸能という、奥まった田舎で村人たちが仕事の傍ら紡いできた民俗芸能が、それまで関わりのなかった方のこころを掴み、またそこから村上への興味と旅のきっかけになったということは私も大変嬉しく、その土地に生まれ、育ててもらった恩を少し返せたように思えました。 能の話に戻りまして、朝日地区大須戸ではもう間もなく、4月3日に鎮守の大須戸八坂神社にて大須戸能が演能されます。その後、狂言は「蟹山伏」に決まりました。 この原稿を書かせていただいているのは3月下旬ですが、4月3日の大須戸八坂神社春の例祭での演能まで一週間ほどとなっています。現地、能舞台があります大須戸八坂神社の境内は急速に雪解けが進んでいるものの、当日は少しぬかるんだ場所があるかもしれないということです。 ご来社いただく際はどうぞお足もとにお気をつけてお越しください。 さて、足もと、といいますと、能は演者の足の動かし方がよく話題になります。そろりそろりと、あまり足を上げずに進む変わった歩き方です。 この歩き方は能の世界では「ハコビ」と呼ばれます。 ハコビは、まず足を揃えた状態から片方の足を摺り足で前に出して後、一度つま先を上げて、その後、後ろの足を摺り足で前に出す、この動作を繰り返すことで前方へ移動していく歩み方です。 この、現代の日常生活では用いられない静かな身体の動きにより、能独特の世界観が醸し出されます。 その歩法の起源は諸説がありますが、個人的には武術的な要素が強いのではないかと感じています。 歴史的にみて、「戦い」が踊りや祈祷に昇華される事例は世界に数多く確認されていて、日本においては沖縄の琉球舞踊がそれにあたります。 昔、琉球の士族の中には空手と舞踊どちらも担う士があり、時に音曲に合わせながら即興で武術的な舞を披露したそうです。ちなみに、琉球舞踊は女性の踊りが華やかで美しく、そのイメージが強いですが、明治4年に廃藩置県が行われるまではその女踊りも男性士族が女形として行っていました。 その沖縄空手は、空手の起源とされていますが、両足の歩幅は違いますが能のハコビと全く同じ挙動をとります。また呼吸によって上半身と下半身を一体化させて体重移動を効率化し、目線の高さを変えない動きを取るそうです。これは相手側にとっては間合いを詰めてくる様子が分かりにくいという武術的効果もあり、この、移動時に目線の高さが変わらないという点も能の身体操作と同じです。 小笠原流礼法でも小笠原清忠氏と御夫人の稽古では何度も歩く練習をしました。座る、立つ、歩くという基本動作をとても大切にします。 小笠原流礼法の歩法は、つま先をあげることはありませんが、足は全体を上げずに呼吸と合わせて腰からの脚の運びを腿で行い、重心をいつも同じくして前に進む動きをとります。その動きは滑らかでやはり目線の高さも一定です。 そして、能と武術が近いと思われる理由に、能を集大成させたといわれている観阿弥・世阿弥親子の出自について、が挙げられます。 観阿弥は、言わずもがな観世流の祖でありますが、その観阿弥は、南北朝時代に活躍した武将、楠木正成の妹と伊賀・服部家の服部元就(はっとりもとなり)との子供であるという系図(観世福田系図)が伊賀・上嶋家から発見されています。 伊賀・服部家といいますと服部半蔵や忍者のイメージですが、服部家は忍者部隊をまとめ動かした武将の家柄です。また観阿弥はその服部家に連なる永富家から妻をめとっており、その子が世阿弥です。世阿弥自身も「猿楽談儀」の中で、自身が服部家の出身であると述べています。 観阿弥・世阿弥が活躍した南北朝時代から室町時代は、後に室町幕府の貿易政策により豊かな文化も華開きましたが、朝廷は2つに分かれ、権力者も二転三転した内乱と迷走の時代といわれています。 我こそはと思う強者たちがそれぞれに智謀策略を巡らし日々争いの真只中にいた頃、武家の出身である観阿弥・世阿弥が猿楽の一座から能役者として活躍していきました。 ならば、当時、生きるか死ぬかの戦いと背中合わせの日々に自己の鍛錬として磨かれた身体操作や精神が、能という伝統芸能に昇華されていったことは想像に難くありません。 能は、武士たちが戦国動乱の世を生き抜く中でたどり着いた世界観のひとつであり、私たちはこの平和の世にその世界観を幽玄の美として享受している。そのようにも言えるのではないでしょうか。 「ハコビ」という身体操作の側面から、能についてとらえたお話をさせていただきました。 ここまでお読みいただきありがとうございました。 申し遅れましたが、私は大須戸能を江戸時代から保存育成して参りました中山与惣衛門家の出でございます。現、大須戸能保存会会長、中山定一郎の娘です。祖父の中山与志夫も生前、大須戸能をとても大事にしましたので、小さい頃から大須戸能のいろいろがいつも身近にあり、その様子を見ながら育ちました。 昔は女人立ち入らず、ということが決まり事でしたので、能面や装束、道具類を近くで見はしても触れたことはなく、演能にも関わることはなかったのですが、だいぶ年を重ね、ふる里への想いもあいまって現在はいち大須戸能ファンとして能がある度に大須戸に戻り、観に行っております。
■ 新潟県無形文化財 大須戸能 大須戸八坂神社春の例祭 定期能開催についてのご案内 【日時】 令和7年4月3日(木) 13:00~16:00 (中止) 於大須戸八坂神社能舞台 【番組】 ・能 「嵐山」 ・狂言 「蟹山伏」 ・能 「土蜘蛛」 附祝言 なお、当日雨天の場合は、外の正面観覧席には雨よけのテントが設置されます。また、脇正面からの観覧となりますが神社本殿内も自由にお入りいただけますのでどうぞご利用ください。(手前側は招待者席になります) 詳細については、令和7年 大須戸能 定期能 - 村上市公式ウェブサイトをご参照ください。(中止のお知らせ) https://www.city.murakami.lg.jp/site/kanko/osudonou-r7-teikinou.html また、村上市公式ウェブサイトより、大須戸能パンフレットもご参照ください。 https://www.city.murakami.lg.jp/uploaded/attachment/69560.pdf
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