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リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.2567 |
令和7年3月発行 | |||||||||||||||||||||||||
大須戸能がつなぐ素晴らしい出会いと気づき ―1― |
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私の里は旧朝日村の大須戸というところにありまして、お城山を左に見ながら国道7号線をさらに北へ、また日本海東北自動車道では村上を過ぎて朝日まほろばICで降りたその先にあります。塩野町を過ぎようかというところで右手に曲がり下ると周りを山々に囲まれた集落があります。夏は暑く冬は雪深く、今回はそのような大須戸に江戸は弘化の頃から伝わる、大須戸能の話をさせていただこうと思います。 ここで私はこの場をお借りして、村上高校の大先輩でもいらっしゃいます元東京大学名誉教授の田仲一成先生に心から御礼を申し上げたい気持ちでおります。田仲先生は大須戸に何度も足を運び大須戸能をご研究くださり、また関東の皆様に大須戸能をご紹介くださいました。田仲先生のお話を伺う御縁をつないでくださった安冨成良さんにも感謝の想いです。私自身も田仲先生のお話から新たな気づきを多くいただき、今一度、能というもの、また小さい頃から当たり前にあった大須戸能という民俗伝統芸能をさらに理解し大切にしたい気持ちになりました。 ある時、仕事先で出会ったある方と出身地の話になりました。大須戸のことはもちろんご存知ではなく、なにか産業はありますか?と質問があって、私は米作りやさくらんぼ栽培などの農業のほか、大須戸能という江戸時代から伝わる伝統芸能があると答えました。すると、その方は「能?」と急に興味を持った様子で大須戸や大須戸能についていろいろ質問してくださいました。 その方がなぜそのように興味を持ったのか尋ねてみますとこのような答えがありました。新潟の北の奥地に生きた素晴らしい文化遺産があること、その伝承された技術が日本の身体操作の最高峰といわれる能であること、またそれらが村人たちによって技術継承され、長い年月、変わらずに地域に伝えられてきていること、そしてそれらの証としてよい能舞台が作られ今でも大切にされていること。こういった事柄から、興味を持ちこころ惹かれたとのことでした。 大須戸能の起源は、弘化元(1844)年の冬、庄内(現在の山形県鶴岡市)の黒川能の太鼓方の役者・蛸井甚助(たこいじんすけ)が大須戸に逗留し村人に能を教えたことが始まりとされます。大須戸では庄屋・神主など村人19人がその後も数年に渡り熱心に指導を受け、7年後の嘉永4(1851)年、大須戸の鎮守である八坂神社の社殿にて能を披露したという記録が残っています。 また田仲先生のご研究により、大須戸能の演出、能舞台の形状などにはその伝承元とされる黒川能と違う点も見受けられ、それらのことから、黒川能だけではなく大和の五流(観世、宝生、金春など)からの流れ、影響の可能性も十分にあるというお話もいただきまして、たしかに隣の塩野町地区が昔、行商や旅人で賑わう交通の要所であった話も併せ考えますと、この素朴な風情もありながら優美さもまとう大須戸能の舞は、約180年前江戸後期からの旅人と村人の文化とこころの交流により育まれた独自独特の民俗伝統芸能であると感じられます。 外部の方々からすると、家元制度や一子相伝の色合いが強い日本の芸能文化において、この様な文化継承の展開例は非常に珍しいとのことで、これは地方ではありやすいかとも思われるのですが、それでも能の民主化、発展の歴史といった視点からも興味深い事例なのだそうです。 また、訪問者や滞在者という「よそからの者」に対してもあたたかく手厚く接してきたその土地、人々の気風、地域性にも大きな魅力があるということで、そのような感想をきき私もたいへん嬉しい想いでした。 大須戸能は大須戸八坂神社にて年2回、春の例祭4月3日、また8月15日には薪能で、能と狂言あわせて三番が奉納されます。春夏それぞれの幽玄の世界、お近くにお立ち寄りの際はどうぞ大須戸能をご鑑賞ください。
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