2024年12月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.254


遠州浜松より村上時代を振り返る〜そして今、浜松で(その2)

佐藤 章子
(さとう あやこ)
昭和10(1935)年11月6日 富山県福光町に生まれる。
昭和24(1949)年 村上中学校卒業
昭和27(1952)年 村上桜ヶ丘高校卒業 
村上文化服装学院 研究科修了
昭和27年に村上市役所社会福祉課に入庁し市内の保育所勤務。
昭和32年 結婚
村上市内で(有)スーパー山石総合食品 夫と経営
昭和46(1971)年 静岡県浜松市に転居、現在に至る。



S.30.1.3 村上小町にて 満19歳 旧姓 森井 章子」






「村上の店の前 雪掻き中の人達」





「村上時代の車『会社・屋号 山石(やまいし)』 主人と私、長女と次女」





「S60年 福島県三春町に実家にて 池の鯉に餌をやる父・森井宏次」




「今の実家 福島県三春町のお茶室前で筆者」





結 婚
 昭和32(1957)年春、私に結婚の話が出た。私は夜はお茶、お花、洋裁、編み物、毎日張り切って過ごしていたし、その頃、東京に好きな人がいて結婚はその人と心に決めていたので、村上の人とは全く思っていなかった。私に知らない内に話が急に進み、村上には親類も誰もいないが母親も人に勧められ、決められてしまった。
 名前は兄から聞いたが、一度も逢った事もなく顔も知らない。話を持って来たのは(勧めたのは)夫となる「金雄」のおばさん(和裁師)だった。母はいつも私や妹のお茶、お稽古用の着物を縫っていたので、そんな時話が出たのだという。村上高校一番の秀才、総代、東大への進学もできる成績の人であったが、おじいさんが大学に進学することを許さなかった。実家の家業の跡取り息子のためとか。
 私の勤めている保育園に毎日配達に来る人、法被を着て大きな前掛けをし、えっ?この人?漬物屋さん?まさか?びっくり!、配達に見えた時、私は本人に急いで断ったが・・・。私の家には住み込みのお手伝いさんが二人いたのと、自分は忙しいので、まだ家事、買物等ほとんど経験していなかった。でも、知らない内に急速に話は進んでいたらしい。
 話の内容は「お店で座っていてお客様が来たら、注文品を渡せばいいのよ」とのこと、全然見当がつかなかった。父も母もそれならと承知したとのこと。この後、話はどんどん進み、わずか1ヶ月で式を挙げた。式当日、花嫁姿で初めて仲人の金雄のおじさん、おばさんに連れられ、婚家を見に行った。勿論お姑のお母さんとは初対面。家にもびっくり。その時、涙がこぼれ本当にどうしようかと思ってしまった。逃げたかった。
 店は庄内町で。小さな食糧品店。朝5時に起きて店を開けた。朝昼夜のご飯時になると、ポツポツとお客様が漬物やおかず、計り売りの酒(1合とか3合とか)を買いに来た。後で分かったが、おばの(和裁師)自慢は、この店は町の為に色々と奉仕して来たとのことで、町ではの人気の店だった。その頃、主人は配達(温泉地等)へよく出かけ好きなカメラを持って、中々帰ってこないものだった。仕事のことはよくやっていたとのこと。

市議会議員に当選とスーパーの設立
 そんななかで、主人は町の人に認められて、市議会議員に立候補して欲しいと薦められ、上位当選を果たした。30歳くらいの時、懐かしい思い出もある。夜中になると主人は、押入れを改造した暗室で焼き増しをしていたので、よく手伝ったものだった。二人だけの楽しい時間でもあった。市議会議員の間は村上高校(母校)の夜間生に奨学金を寄付していた。
 市中心にスーパーを開店。他に2店(駅前、ショッピングセンター)、掘片に小スーパー計3店舗。私も125ccスクーターで温泉へ配達に行く。(主人は)市議会議員で商売は留守がち、忙しすぎて私が体調を崩し、2店舗に減らした。長女も6年生になり店員として学校から帰ると、よく手伝ってくれた。そんな中、無理やり市議会議員を辞めてもらうよう頼んだ。
 本店スーパーは夜10時迄とした。夜は酒の小売りで忙しかった。冬は閉店後、毎晩外で鮭の塩引きを仕込んだ。吹雪の時でも、学生アルバイトを入れて対応。毎日朝、開店前は朝礼、仕事の説明から始まり、夜は酒店にもなった。閉店は10時。その後、翌日の為の製造。子供そっちのけ、寝るのは毎日2時~3時、すきをぬって近所の医者に通った。主人は殆んど外出、でも一通り経営管理はしっかりしていた様。

日本青年会議所を発足
 市議会議員を辞めてもらってほっと束の間の間、今後は家庭に専念すると思っていたら、今度は村上の日本青年会議所を発足させた。
 日本で356番目、全国から各県の代表者が来た。瀬波温泉の体育館で発足式。その際は常陸宮様が祝賀会にご臨席された。私達会員の妻は接待役を務めた。そして初代理事長に就任。これまた大変。全国の日本青年会議所との交流が忙しすぎ、趣味は昔からカメラ、あちこち写真を撮りに出掛けていた。
 写真の腕前は月刊雑誌『日本カメラ』で最優秀賞を沢山受賞。『くらしの手帳』にも応募。

子供、実家、そして友達の保証人に・・・
 私には女の子(長女、次女)が居る。私が結婚と同時に止めざるを得なかったお茶を幼稚園から習わせ、喜んで楽しそうにお稽古に行っていた。私の実家が今度は村上から長野県の岡谷市に転居した。仕事から解放され、子供達と束の間の一時、夏休みになると子供を連れて岡谷へ汽車に乗って遊びに行ったものだ。家は諏訪湖の側にあり、霧ヶ峰、つぼ庭等、ロープウェイにも乗り楽しんだものだ。後日、岡谷の実家は福島県三春町に転居した。今の私の実家は三春町。
 友達(卸売業者)の保証人になり大変な時もあった。友達が借金返済後、こっそり主人の印鑑を偽造し、新たに主人を保証人に仕立て、更に借金して返済不能になった。知らぬ間に主人の口座から引き出され、終には残高が底をつき、銀行からの督促で初めて分かった。結果、差し押さえにあい、嫁入り道具まで赤紙が貼られた。止む無く私の実家から借金をして返済に充てた。実家への返済も数年かかった。また、友達相手の裁判に勝ったものの3年かかった。
 この頃から村上市内にも大型スーパーが出店し、店の経営が悪化、閉店に向かっていった。商売は、市の中心街の自宅のスーパー、駅前ショッピング合同スーパーの2店にし、漬物製造卸も止めた。惣菜、天ぷら類と漬物は一夜漬けとし、毎日その日の品はサシミを出した。秋から冬は吹雪の夜でも、外で裸電球をぶら下げ、鮭の塩引きを夜遅くまでやった。

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今回のリレー随筆は筆者の自叙伝『佐藤章子 自分史』(2018年12月22日発刊)から、著者の許可を得て、抜粋して転載しました。(pp.12-14)
                                 
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次回予告

 
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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