2024年11月号 | ||||||||||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.253 |
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赤見会長を偲んで |
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9月半ば、出先の車の運転中に赤見会長の奥様から「佐藤さん、主人が亡くなったの、急だけど二日後お通夜翌日告別式なのでとりあえずお知らせ」・・・という突然の電話。しばらくご無沙汰をしていたが、赤見会長がこの春に家の中で転び、暫く入院したことは聞いていた。時々お掛けする電話の声はお元気だっただけにまさか亡くなるとは思ってもいなかった。 平原副会長・佐藤事務局長と一緒にあきる野市のお住いでのお通夜に駆けつけた。転倒・入院など、その後体調がすぐれず急激に弱って行かれたとのお話だった。お通夜の席には早稲田大学や、あきる野市の教育関係者など多くの方々がみえられており、赤見会長の交友関係の広さを感じさせられた。 明治12年創立という伝統ある「東京村上市郷友会」の活動に現在の役員幹事たちが参加したのは25~30年前となり、郷友会の会長を木村倉太郎氏から赤見市郎氏が引き継いだ頃となる。 赤見会長自身は東京生まれながらご先祖が越後村上藩の剣術の指南役だったことや小学校・中学校・高等学校と村上で過ごし「私は村上人なんだ」と常に言っておられた。村上大好き人間で郷友会の活動に全力を注ぎ我々を引っ張ってくれた。特に力を入れていた九月開催の「三面川の鮎を食べる会」は赤見会長の同級生という三面川の鮎釣り名人だった故市岡貞夫さんと現在郷友会の副会長平原三男さんの存在が大きい。一人残された平原さんはどんなにか寂しい想いをされている事か。コロナ禍と食材手配の問題などもあり暫く中止していた鮎を食べる会を来年は絶対に復活させると平原さんは意気込んでいる。 赤見会長のもう一つの業績は、リレー随筆「鮭っ子物語」の発起人という事である。地域情報ウエブサイトの「村上広域情報誌2001」を管理されている安澤孝雄氏との連携により、ふる里村上の発展に少しでも寄与出来ればと、村上ゆかりの方々に、リレー形式にそれぞれにふる里を語ってもらうもので、村上を思う人たちの輪を広げたいということからスタートした。 月1回発行のこのリレー随筆「鮭っ子物語」も253回を数え、スタートから22年となる。赤見会長自身も第一回の執筆となったのが平成13年〈2001年〉でありその後もたびたび執筆されている。この赤見会長の願いは後輩に引き継がれこれからもリレー随筆は継続されていく。 |
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