2024年6月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.248

あげたおにぎり あげられなかったおにぎり
~所沢市「平和の語り部」の思い~(その6)

杉本 孝一郎
(すぎもと こういちろう)
昭和7(1931)年1月、東京で生まれる。明川国民学校高等科入学、昭和20年に疎開で一家で村上町に転入。同年、父と共に宮本製作所入社。昭和22(1947)年、町営番長住宅に移転(後に飯野に自宅を建てる)。昭和24(1949)年、県立村上高校定時制夜間部に入学。在学中、村上高校全学弁論大会で優勝。昭和29(1954)年3月、村上高校卒業。昭和34(1959)年に結婚し、昭和39(1964)年に一家で上京し昭和43(1968)年に所沢市に移転。その後、地域活動として入間基地騒音の防音対策、平和の語り部、東狭山ヶ丘駅ロータリーの花壇の世話、児童の見守り隊などに取り組み、令和元(2019)年に長年社会貢献の功績で埼玉県より「シラコバト賞」受賞。





筆者の近影










「子ども見守り隊」のメンバーと。前列中央が私。
宮前小学校の校庭で」









「ところざわYOSAKIで」










 狭山ケ丘駅東口ロータリーの環境美化運動に参加した小中学生。右端か私」










 「狭山ケ丘駅東口ロータリーの花壇の世話をする中学生たち」









「埼玉県民の日に長年の社会貢献の功績で「シラコバト賞」受賞で表彰される。前列左から3人目から大野元裕知事、神尾高善県議会議長、私。令和元年11月14日」

地域社会との関わり
 
 (自宅のある所沢市狭山ヶ丘地区で、最初に取り組んだ下水道問題については、このリレーエッセイの前号で述べていますが、下水道問題の次に)、昭和50年前後には、航空自衛隊入間基地の騒音に対する防音対策に取り組みました。この地区は入間基地の約2キロ南にありますが、自衛隊機の飛行ルートに近く、滑走路を離着陸する際、家の上をかなり低空で飛行します。(中略)窓を閉めていても、部屋の中でテレビや会話の音が一瞬聞こえなくなるほどです。
 民家の防音対策をしてもらえないかと調べたら、基地のある狭山市と入間市は、防衛庁の防音対策の対象地域に指定され、行政の手で民家に防音サッシが設置されているのに、南側に位置する所沢市は対象外でした。(中略)
 そこでまず所沢市に働きかけましたが動いてくれません。(中略)そこで地元の国会議員らに頼んだら、防衛施設庁長官と会えることになり、六本木の防衛施設庁で直接陳情しました。その結果、昭和51年頃から2~3年かけて、狭山ヶ丘全域の民家に防音サッシが設置されました。(中略)下水道問題のほか、入間基地の騒音問題でも、私が議員を経由して、直接市長や防衛施設庁長官に働きかけ、その結果行政も動いてくれましたので、その頃から地域の人に頼りにされるようになりました。
 いま振り返れば、下水道問題や騒音問題に取り組んだ昭和40年代から50年代にかけては、私も働き盛りで、会社の仕事が最も忙しい頃でしたので、自分でも地域の問題でよく動いたと思います。(中略)身の回りの問題が解決したら、私はまた仕事人間に戻り、しばらく地域とのかかわりはなくなりました。

地域社会との関わり、ふたたび

 再び地域との関わりを持つのは、それから20年以上経った平成17(2005)年、私が73歳になった頃からでした。(中略)この頃になると自分の自由になる時間も大幅に増え、以前取り組んだ下水道問題や騒音問題のような自分の生活のためというより、なにか自分が地域社会のお役に立てることはないかと考えるようになっていました。このため、色々な方面に働きかけを始めました。
 後述しますが平成17(2005)年から始めた地域での美化運動への取り組みや翌18年(2006)年から所沢市が始めた「所沢市平和を語る会(平和の語り部派遣事業)」に参加して所沢市や狭山市などの小中学校などでの講演会を行う一方、平成18年から始めた「子供の見守りと挨拶運動」(現在のスクールガード運動)としての子どもの見守り隊の結成に関わり、携わっています。
 また、平成20(2008)年に東狭山ヶ丘自治会連合会会長となったことがきっかけで直接関わり、住民投票などで全国的に注目されることになる「所沢市小中学校エアコン導入問題」に取り組みました。こうした地道な運動を行ってきた結果、最終的にはこの運動を開始してから10年後の平成30年にすべての市立小中学校にエアコンが導入されました。さらに、令和元(2019)年から名称を「ところざわYOSAKOI」として敬老の日に行うイベントを提言し、開催しています。

駅前花壇

地域社会への貢献を再び始めたのは平成17年、懇意にしていた地元の段ボール製造の株式会社カマタの鎌田幸助社長から、「狭山ヶ丘駅東口のロータリーにある花壇の世話をしてもらえないか」と声をかけられました。
 最初は個人的に動いていましたが、まもなく地元の皆さんに声をかけて、「東狭山ヶ丘環境美化協議会」という組織を立ち上げました。いろいろな所にお願いして回り、今は所沢市、セブンイレブン記念財団、東狭山ヶ丘自治会の3者から、花の苗を買うための資金を提供していただいています。平成30(2018)年からは、地元の農家の方々から10万円分の苗を寄付していただくことになりました。会長の私は毎年、資金提供を続けていただけるよう、関係者の皆さんに頭を下げて回るのが仕事です。
 花の苗を植えるのは、プロである地元の農業関係者にお願いし、枯れた花や葉の摘み取りや草取りの世話は子供を含む地域の人たちに参加を呼びかけました。冬休みと春休みの花壇の整備には毎回、狭山ヶ丘中学校の有志の生徒と宮前小学校の栽培委員会の子どもたち、合わせて60人~80人がボランティアで参加してくれます。

令和元(2019)年に埼玉県の「シラコバト賞」を受賞

 また同じ頃、宮前小学校の花壇を花でいっぱいにする運動を思いつき、「宮前小学校フラワーボランティアグループ」という組織を作りました。できるだけ花を絶やさないように年4回、学校中の花壇の花を植え替えています。この15年近く、毎週木曜日の午後、同小に集まり、1時間半ほど活動をしています。同小の栽培委員会の子どもたちも月1回、花壇の世話に加わってくれます。この子どもたちは、駅前ロータリーの花壇の世話にも参加してくれています。
 また、駅前ロータリーの花壇の花を取り換える際は、植わっていた花が無駄にならないよう、宮前小学校の花壇に植え替えています。駅前ロータリーと宮前小学校の花壇が連動して、無駄なく花を絶やさないように工夫しているのです。
 この長年の活動が評価されて、令和元(2019)年、東狭山ヶ丘環境美化協議会が埼玉県の「シラコバト賞」を受賞しました。同年11月14日の「県民の日」の記念式典に関係者が出席して、表彰式が行われました。受賞理由は「駅前ロータリーにおいて緑化環境美化活動を実施している」ことと、「地域の小中学生にボランティア活動を学ぶ場を提供している」ということでした。
 
**********
 今回のリレー随筆は筆者の同じタイトルの『あげたおにぎり あげられなかったおにぎり~所沢市「平和の語り部」の思い~』(2020年出版で現在絶版)から、著者の許可を得て、今号でも同著から抜粋して転載しました。(pp.88-132)


 東京村上市郷友会ホームページ リンク

次回予告

 
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
「鮭っ子物語」バックナンバー 
東京村上市郷友会
村上高校同窓会(リンク)
村上高校同窓会関東支部(リンク)
新潟県人会(リンク)

 
表 紙 | WEB情報 | サイトマップ | バックナンバー | 検索・リンク 

発行:デジタルショップ村上
新潟県村上市・岩船郡7市町村 月刊デジタル情報誌 2001年1月1日創刊
(c)2001~murakami21.jp All rights reserved
Produce by Takao Yasuzawa