2023年10月号 | |||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.240 |
|||||||||
「少し変な村上弁と私の音楽人生」 |
|
||||||||
市内の庄内町で生まれ育った頃の我が家では、そんなに村上弁を話す家族ではなかったと思うのですが、高校に入学するとクラス内に何ヵ国語かが飛び交い新鮮なショックを受けました。いろんな地区からの仲間と話しているうちに、各地区方言の入り混じった純粋な?村上弁ではない言葉が身に付いた様です。 卒業後東京での音楽生活が始まってからも、仕事仲間や生徒の前でもそんな言葉を使い続けているうちに周りも普通に理解してくれています。 初めは私のことを新潟出身との認識で付き合ってくれていた仲間も徐々に村上出身と分かってくれる様になり、ニュースで村上という地名を見聞きすると、すぐ反応してくれるのが嬉しいです。村上の鮭を「しゃけ」と言うな、いくらでなく「はらこ」、鮭は捨てる部位がない等も教えました。 言葉も私が大学に入り最初のあだ名が「だすけ」でした。日常的に使っていたからの様です。他に入門編として「しょったれ」や「のめしこき」「しっぱね」「こーえ」等も伝授?しています。弟がバンドメンバーでいたため他のメンバーは私を「あんにゃ」と呼んでいました。新潟市内出身のミュージシャンとの付き合いも多く、彼らの「なじ?」や「そらろっか?」は私には都会の言葉に聞こえました。彼らには「阿賀北の大滝さんの言葉が一番ざいごくっせ」と揶揄われましたが、懲りずに使い続けています。 帰省の時にずっと地元にいる同級生がみんな標準語の中で、なんで私だけが訛っているのかとよく言われています。地元では子供が学校で標準語なので、家で親が訛っていると子供に馬鹿にされると話していました。 村上高校関東支部会の役員会に最近参加させて頂いていますが、その会でも先輩の皆様が標準語で私だけが村上弁で驚かれました。 時々村上の同級生と東京でプチ同級会をしていますが、最初は標準語っぽく話していますが、帰る頃にはみんな思い出して昔に近い言葉になっている様子はとても嬉しく思っています。 バンドでデビューしたての音楽活動はいろいろあり上手く行きませんでしたが、現在まで歌手として沢山のCMソングやディズニー等の吹き替え物での歌唱仕事、NHK紅白歌合戦等TVの音楽番組でのコーラス、他のアーティストのコンサートでのコーラスやバンド演奏といろんな仕事に恵まれて日々楽しく音楽生活を送れています。 20年程前から隔週で村上にも通い、女性コーラス「クリスタルボイセズ」での編曲と指揮、指導やギタークラブの「アンサンブル エトセトラ」での指導、そして空いている時間に個人レッスンと滞在中は忙しく過ごさせてもらっています。 還暦を少し過ぎた私ですが、歌手やコーラスでの仕事の他に自分のバンドやソロでのライブ活動、専門学校や大学での授業とまだまだ歩みを止めず、故郷村上への恩返しを含めて村上弁を話しながら楽しく音楽と付き合って行きたいと思っています。 |
|||||||||
東京村上市郷友会ホームページ リンク |
|
||||||||
|
|||||||||
表 紙 | WEB情報 | サイトマップ | バックナンバー | 検索・リンク 発行:デジタルショップ村上 新潟県村上市・岩船郡7市町村 月刊デジタル情報誌 2001年1月1日創刊 (c)2001~murakami21.jp All rights reserved Produce by Takao Yasuzawa |