2022年10月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.228


鮭ぼやとカルチャーショック

 故郷を離れて50年以上が経ち生まれ故郷も遠くなると思いきやそんな事は全くなく子供の頃の父、母との会話、近所の小母さんとの会話がほぼ毎日の様に頭の中を回ります。しまいには母の言葉で独り言を言っています。
私が生まれ育ったのは村上市内から4-5km離れた当時の神林村有明。有明は神林村の東西地区11集落の中心で小、中学校があり郵便局、駐在所、農協、医院等があり活気のある集落でした。
 小学校の時には五月休みと言って田植えの為に5月になると毎年4-5日の休みがあり小5年の時にバイクで苗運びをして近所に住む担任の先生から叱られたのが懐かしい思い出です。正月のご馳走の定番であったサケボヤ(有明弁)とイクラの美味しい味は今でも忘れません。中学の英語の先生が英語を勉強すると良いお給料が貰えるのよと言われ村高でも英語を特に勉強し関西の大学の外国語学部で英語を専攻。卒業後都内のメーカーに入社し海外勤務の辞令を頂く。1979年秋に今は無きユーゴスラビアの首都ベオグラード(現セルビア首都)に赴任。担当地域はユーゴ以外に隣国ブルガリア、ルーマニアのバルカン半島地域。繁忙期の応援でポーランド、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリーにも出張。当時の東欧7カ国に工業用ミシンを販売しておりました。
 東欧とは言えヨーロッパと名がつく国々なので相当進んでいる国々と思いきや日本の昭和初期の街並みを彷彿させる風景があちこちにありました。性格も大人しく優しい親日的な国々で今でもとても懐かしく思います。どの国も物資が少ない為に物が壊れても自分で修理する。車のブレーキ、エンジンでも修理するのには驚きました。困るのはパーツが無いと他者の車からパーツを盗む事。小生が乗っていた社用車ベンツは恰好の標的でバックミラー、ワイパー、カーステレオは良く取られました。困ったのは後ろのタイヤ2本が盗まれ警察に言うと、あなたは運が良い、さっき来た人は4本盗まれた。このように物事に固執せずおおらかで日本では大クレームになるような事でもお店との間で揉め事が起こることはありません。ベオグラードに単身三年後、1982年に西ドイツの北の港町ハンブルにある現地法人に異動。ここで家族を呼び寄せる事が出来ました。早朝のハンブルグ空港でアンカレッジ経由の家族を出迎えました。息子を片手に抱いて、娘の手を引いて出て来た家内は元気そうでしたが、驚いたのは家内がこの人がお父さんよと娘に言った娘の回答が“お父さんて何”と言われて一緒に出迎えてくれた駐在員家族に笑われたのが今でも忘れません。
 ハンブルグには1990年半ばまで勤務し再度3年後に単身赴任し1999年まで都合13年程ドイツで仕事をしました。仕事は大変でしたが充実した生活を送る事が出来ました。
 10年以上ドイツで生活し感じたのは日本とドイツでは考え方が真逆である事。小生としてはドイツの方が効率が良いと感じました。
鉄道や地下鉄駅に駅員がいない。改札が無い。 ハンブルグからミュンヘンまで約800km。アウトバーンを飛ばして一回給油して約4時間。現在の所沢から実家、有明まで360km。殆ど高速ながら無給油で約5時間。
医者、歯医者に行っても、子供が風邪を引いて往診にきてもお金を払った事が無い。医者で住所や名前を書いた事がない。家内はハンブルグで一生を終わりたいと何度も言い続け、日本に両親がいるのだから無理と言って帰国しました。家内は今でもハンブルグで生活したいと言っている。駐在員仲間には日本が良いと言う人もいますが半分以上はハンブルグが良いと言います。独身で来る駐在員は殆どが現地で結婚し日本に帰りません。
 現地法人では数億円相当の商談でも自分で決済出来る。事務所も広くあるいは個室で仕事が出来る。日本に帰ると大きな部屋に小さな机をびっしり並べて仕事をし、数千円の金額でも課長や部長の決済がいる。ハンブルグで東欧から顧客を呼んで機械の研修を行うと研修生は冬なのに花屋に行けば綺麗な花が一杯ある。肉屋に行けば肉が一杯ある、お店に行けば商品で溢れていると皆驚く。これが物資が少ない人々のカルチャーショックと思いました。
 小生も最初の駐在から帰国し出勤するのがいやでいやでたまりませんでした。
事務所の机、椅子も小さく、薄汚れている。プリンターやコピー機の音が煩い。満員電車がつらい。街の景観がとても貧弱。電柱、電線、アンテナ、看板だらけ。騒音が多い。道路が狭く、自転車、歩行者は身の危険を感じている。土、日もお店が開いておりゆっくり家で休めない。日本はストレスが多く右後頭部に10円程度の円形脱毛症が出来ました。これが自分のカルチャーショックと後で思いました。日本には良い所をありますがヨーロッパと比べると慌ただしい。二回目のドイツ駐在の時に小生も本社採用から現地法人採用に変えてもらい帰国する事を断念しようかと悩みました。

 三面川の鮭は卵を放流して戻ってくるのは0.3%と先日テレビで放映していました。小生も最終的に帰国したのはその0.3%の鮭と同じように生まれ故郷に帰らなければと思ったから今、日本にいると最近感じております。


美濃 忠三
村上高校22回卒業生
所沢市在住


筆 者

ハンブルグ会社のXmas妻と

プラハのカレル橋で

ハンブルグお子さんと

プロビデフ市ブルガリア民宿夫婦と

ハンブルグ市現地スタッフと

ベルリンの壁崩壊後1990年10月

高校時代

村高本校同窓会総会


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リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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