2022年3月号 | |||||||||||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.221 |
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ウィーン散策 ~ある外科医のお墓参り~ |
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クリムトの絵などを鑑賞できるベルヴェデーレ宮殿からほど近い停留所からトラムに乗り、ウィーン中央墓地方面に向かう車内で、日本ではお盆やお彼岸に祖先を敬い亡くなった人々をしのびお墓参りをするが、西欧には似たような習慣はないんだろうなぁなどと思いながら、また中央墓地の最寄りの停留所を見落としてしまうんじゃないかという不安の入り交じった複雑な気持ちで車窓を眺めていました。 さて、私は1976年に新潟大学の医学部を卒業後外科学教室に入局して外科医としてスタートを切りました。外科の中でも胃がん・食道がんなどの診断と治療を専門としていたこともあり、2008年9月10~13日にブダペストで開かれた国際食道疾患会議に出席してきましたが、今回の学会出席のもう一つの大きな目的はウィーン大学へ行って偉大な外科医、ビルロートが世界で初めて胃がんの手術を成功させた切除胃と残念ながら再発死し剖検して摘出した残胃の標本を見ること。また、ビルロートのお墓参りをすることでした。 ビルロートといっても一般の人たちにはなじみのない名前と思いますが、胃がんの手術に携わる外科医にとって、知らない者はいない偉大な外科医です。1881年1月29日胃がんの患者さんの胃を切除して残胃と十二指腸を吻合し成功したのである。140年以上過ぎた現在でもいろいろ改変されてはいるものの、この時の術式が基本になっています。今ほど知識・技術や器具など少ない時代であり革新的なできごとでありました。 日本を発つ前にその切除胃を保管・管理しているだろうと思われるウィーン大学医学部のそれらしき部署にメールを送っていましたが、「8月いっぱい休み中」との返事がきただけで9月24日にはウィーンにたどり着いていました。翌25日はとりあえず朝からウィーン大学を目指して行ったものの、周辺の街一帯は大学関連施設が多くあり皆目見当がつかない。あてもなく捜し歩いていると旧総合病院跡地にビルロートの立像(写真1)を見つけ、幸先いいぞと思いながらあちこち回るもなかなか分からない。通りかかったおばさんまでもが、「何処へ行きたいのですか?」と尋ねてくださる。迷っているようだと分かると一度や二度ではなく何度も親切に声をかけていただいた。ウィーン市民の多くは観光客に対して親切なんだなぁという好印象を受けました。病理学・解剖学博物館という丸い円筒状の建物を見つけ入館しようとしたら「今日は11時で閉館です。今は11:10なのでダメ」と断られたが、“鉄腕アトム”に出てくる“お茶の水博士”の風貌の白衣を着たおじさんにしつこくいろいろ聞くと、ここにはないと、きっとあそこだよと教えてくれたのが「ヴェ・・リゲェ・・st・・e、ヨゼフィ・・ムゼウ・・」。よく聴き取れなかったなぁと思いながらそれらしき博物館へ行き入館できたが分からずじまいだった。その後大学病院へ行けば何か分かるかと思い大学病院に行ったものの特に情報は得られず、市内のほかの博物館などを回りホテルに帰った。 メールをチェックするとなんと、ビルロートが切除した胃を展示している施設から返事が届いているではないか!、29日の飛行機で発つことになっているので翌日(26日)の午前10時にお伺いしますとすぐにメールを送信した。その施設とはあの“お茶の水博士”が教えてくれた博物館ではないか。「ヴェーリンガー通り」の「ヨゼフィヌム(Josephinum)」という博物館(写真2)でした。前日は見つけられなかったが案内していただき、じっくりと実物の胃の標本(写真3)を見ることができました。その上秘書さんが1881年の初版の原本と論文(写真4)を用意してくれていて、せっかくなので一部コピーをとらせてもらいました、いろいろ親切にしていただき感謝して博物館を後にしました。 ちょうどお昼頃になり、ウィーン大学の構内に入り回廊のある中庭(写真5)で一休み。腹ごしらえしながら回廊を見て回ると、ここには医学書に出てくる有名な人物の像が並んでおり、その中にもメスを持ったビルロートの像(写真6)もありました。大学は1356年に創立されており歴史の深さと中世~近世のハプスブルグ家の繁栄の凄さを見る思いでした。 あとはビルロートのお墓参りだということでトラムに乗り中央墓地に向かっているところでした。幸い、問題もなく墓地に到着し、敷地は広大ではありましたが、観光客もよく訪れるベートーヴェンやモーツァルトなどの作曲家の墓碑から比較的近いという情報は得ていたし、また入口の地図には作曲家の墓碑は表示されていたこともあり、容易にビルロートの墓碑(写真7)は見つけることができました。偉大な業績のある大外科医に敬意を払いつつ手を合わせてきました。 まもなく還暦を迎える時であり、今まで手術を中心に必死になって仕事をしてきましたが、そろそろ後進に道を譲る頃でもあり、長い間念願でもあったビルロートのお墓参りと世界で初めて成功した時の切除胃を見ることができ、何とも言えぬ一つの区切りがついたという安堵感と歴史の一端に触れられたという感慨にひたりながら日本への帰路についたのでした。 |
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