2021年10月号 | |||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.217 |
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【ふるさと】 |
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村中、村高の同級会、同期会などで必ずと言って良いくらい童謡「ふるさと」が歌われる。 「ウサギ追いしかの山 コブナ釣りしかの川・・・志を果たしていつの日にか帰らん・・・」 飛び交う村上弁の中で原風景村上が鮮明に蘇ってくるのだろう。 村高卒業までお城山の北側、新町に住んでいた私にとって「かの山」はお城山であり、お城山が私を育ててくれたと言っても過言ではない。そして「かの川」は村上東中の北側を流れて三面川に合流する山田川である。当時のお城山は山頂付近に村上城を窺わせる石垣群、西面にブナ・ナラなどの林と登城道「七曲り」があったが、その他の面は杉が生い茂っていて昔の道などは殆ど雑草の中に埋もれていた。そして、雪のない時期はターザンごっこをしたり、クリ・クルミ等の木の実を拾ったり、昆虫採集や羽化の観察をするなど、恰好の遊び場であり勉強の場でもあった。また、家庭用燃料として焚き付けのスギッパ・焚き木などを拾ってくる生活の場でもあった。雪が積もる冬は七曲りがスキーや手作りソリでの遊び場になり、夜になると吹き付ける風を受けて山全体でゴーゴーと手荒い子守唄を歌ってくれた。 まだ雪が残るお城山へ近所のおじさん・先輩達に連れられてノウサギを獲る罠を仕掛けに行ったことがある。雪の上に残された足跡を探してノウサギが通りそうな藪に罠を仕掛けた。針金で投げ縄のように作った罠は輪をくぐると引っかかって締まるようになっていた。こんな簡単な罠で本当にノウサギがかかるのか半信半疑であったが、それでも何日間かは期待に胸を膨らませて確認に行ってはガックリして帰ってきたことを覚えている。結局ノウサギが罠にかかることはなかった。罠についてネット検索したら、現在でもノウサギの捕獲用にほぼ同様の仕掛けの「くくり罠」という罠があることが分かった。ノウサギがかからなかったのは罠の仕掛け方に問題があったのだろう。 山麓東北部の一角には「山の神様」の社殿がある。鬱蒼とした杉木立に囲まれて日差しも殆ど届かなく、時折聞こえる鳥の鳴き声が静けさを際立たせ厳かな雰囲気を醸し出していた。高校3年の夏休み直前になっても、家庭の事情で進学か就職か進路を決められない状況であった私は、不安な気持ちを払拭すべく山の神様にお参りに行き、拝礼場所を夏休み中の勉強の場にさせてもらった。「赤尾の豆単」「ヤノケンの重要問題解法の手引きシリーズ」「津田栄の化学計算問題の解き方」などを片手に、晴れた日には殆ど毎日のように出かけた。その甲斐あってか日本育英会の特別奨学生試験に合格して大学進学が実現した。そしてその後、念願の化学系会社に就職してプラスチック材料の研究開発に携わることとなった。山の神様に感謝! 山田川の水がぬるむと手作りの釣り道具を持って友人達と時々釣りに出かけた。ある日たまたま一人で釣りに行ったときに事件が起きた。川に垂れたヤメ(釣り糸)に強い引きが来たので、これは大きいぞ!とワクワクしながら引き上げた。 獲物が水中から姿を現したとたんヘビではないかと見まがう動きに、ニョロニョロ系が大嫌いな私はパニックに陥った。獲物を針から外すことなど勿論できないので、釣り竿からぶら下げたままへっぴり腰の小走りで帰り始めた。獲物が逃げようとして気味悪く必死で体をくねらせて暴れるのと、私が走る振動と共振したのか、間もなくうまい具合に針から外れてくれた。獲物はウナギかナマズだったのだろうと思うが、私は獲物には目もくれず一目散に家に駆け戻り、以後山田川への足は遠のいてしまった。 村上を離れて60年、茨城の地に終の棲家を構えた今、曲がりなりにも志は果たせたが「いつの日にか帰らん・・・。」は叶わない。 |
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