2020年12月号 | ||||||||||||||
リレー随筆 「鮭っ子物語」 No.207 |
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母川回帰 |
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1958年、早慶戦に憧れて、早稲田大学へ進学。在学中、新しく日本に紹介された“マーケティング”を本場で学び、民主主義をこの目で確かめたいと米国留学を志した。60年前は情報も少なく、米国文化センターに毎日通い100校近い大学案内を調べ、応募した中からミネソタ州立大学大学院に1962年秋からの入学を許可された。語学教育、奨学金、大学のレベル、授業料や生活費、人種差別の有無など、今考えても的を射た選択であった。しかし、大卒の初任給が一万七千八百円(49.44ドル)の時代に、年間二千ドル(72万円、1ドル=360円)かかるのに交通費を除く手持ち金千ドルでは心細く、菩提寺の安冨良英先生の紹介で、米国留学から帰国したばかりの村高新制第1回生の菊池武氏(後、理科大教授)に相談すると、“千ドルあれば殿様だ。俺は米国に着いたときは5ドルしかなかった。”と。現地に行けば何とかなるという確信を得て、1962年7月14日、私は横浜港をアメリカンプレジデントライン(客船)でホノルルに鹿島立ちした。ホノルルからプロペラ機でオークランドへ。アムトラック鉄道でサンフランシスコから万博のあったシアトル経由で8月中旬にミネアポリスにあるミネソタ大学に着いた。 大学院は成績がB平均でなければ退学になる。1年半程は英語のヒアリングやリーディングスピードで、随分苦労したが、それを過ぎると磁力圏を抜けたように不思議と授業が分かるようになった。経済的にも初年度は手持金、寮でのアルバイトと大学からのローンでしのぎ、二年目、三年目は奨学金と日本と取引のあるミネソタの企業での通訳などアルバイトの収入で何とか賄い無事修了出来、修士号(MS)を取得した。私が幸運だったのは、偶然にも私の担任教授R.J.ハロウェー先生がのちにAMA(全米マーケティング協会)の会長になるようなマーケティングの大家であったことである。1965年夏に大学院修了後、次は米国でマーケティングの実務を経験したいと思い,再び菊池先輩の紹介で、デトロイトが本社のGMの広告代理店に就職した。ここでは、リサーチ、コンピューター、広告プレゼンテーションなどの研修を受けた。1968年には、当時日本企業の対米進出の拠点であったロスアンゼルスの中堅広告代理店に転職し、帰国するまでの12年間日米間の沢山の国際マーケティングのプロジェクトに携わった。ロスアンゼルスでただ一人の日本人マーケティングマンとして、フロリダグレープフルーツ、カリフォルニアアボカド、エアミクロネシア航空(グアム・サイパン/東京)などを広告キャンペーンを通して初めて、日本に紹介した。又、リサーチ会社のコンサルタントとしては、サンキストの依頼で同社のドリンクの日本市場での問題を解決したり、米国トヨタ自動車、マルちゃんのラーメン、サントリー、JETRO(日本貿易振興会)など色々なマーケティングリサーチを行い日本企業の対米進出に貢献した。フロリダのグレープフルーツのキャンペーンの時は、読売巨人軍のキャンプ地がベロビーチにあったのが縁で、後楽園球場での巨人―ロッテのオープン戦を”フロリダグレープフルーツデー“として大々的なキャンペーンを行った。長嶋監督や王選手などと直接会って仕事が出来たのは楽しい思い出となった。又、誰も食べ方を知らなかったカリフォルニアのアボカドも日本向けのレシピを開発してプロモーションし日本の消費者に広めたが、その時のアボカドの”のり巻“が発展して、今は”カリフォルニアロール”として日米で人気のお寿司のメニューになっている。 米国の広告マンには“40歳で身の振り方を決めろ”という諺があるが、私は40才を前に1979年には国際担当副社長になっていたが、このまま米国にのこるか、日本に帰るかを考えていた。この時、私はメキシカーナ航空の依頼で日本に進出すべきか否かを決める為に日、墨、米を何度も往復して調査していたが、最終的にはメキシコ本社の役員会で、日本オフィスの開設を進言して決定された。その後、私のマーケティングと日本語、英語に加えてスペイン語の能力を買われ、メキシカーナの米国支社長から日本のマネージャーになって欲しいと頼まれた。私は、渡りに船とこのオファーを受けて翌年(1980年)メキシカーナ航空の日本支社長として18年ぶりに帰国する事になった。 ロスアンゼルスは気候も良く、経済的にも恵まれ、日米を行き来する国際マーケティングの仕事も楽しく自由で、今思うと天国のようであった。帰国後、友人から“長島、お前は何故日本に帰ってきたんだ?”と問われ、私は思わず “俺は村上の鮭だ” と、答えていた。 |
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