2020年10月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.205



よるべなき人生行路の先にあった故郷


1970年代後半の鉄鋼不況と産業構造の変化で父親の経営していた会社が倒産。それは私と村上の縁が途切れた瞬間でもあった。
なんとか村上高校を卒業して上京。出版社や新聞社でアルバイトをして学費を稼ぎ、人よりも時間をかけて大学を卒業したが、そのアルバイトが私の人生行路を決定づけてしまった。学生時代からフリーライターを名乗り、いくつかの出版社で記者、編集者として働き、ふたつの雑誌の編集長も務めた。80年代の出版業界は右肩上がりの成長を遂げており、よるべなき若者だった私は出版業界の恩恵で生かされてきたとも思っている。
故郷・村上とは疎遠になり、同窓会名簿にも「消息不明」と記されていた。取材と原稿書きで徹夜続きの日々が望郷の念を失わせた。30年以上が過ぎ、諦観の中で薄っすらと存在していた故郷の風景を甦らせてくれたのはテレビや映画で活躍されていた鶴橋康夫さんであった。鶴橋さんは村上高校の大先輩。鶴橋さんが監督を務めた映画「後妻業の女」の取材で、2017年3月に鶴橋さんにお会いしたのだが、私が村上高校の後輩だと告げるや映画の話はそっちのけで、村上の話で大いに盛り上がった。それがきっかけとなって、私は村上高校同窓会関東支部の存在を知り、毎年行われている総会にも参加するようにもなった。
一方、私が生業とした出版業界は1996年をピークに低迷の一途を辿っていった。今では市場規模は半減。そんな逆風の中、私は今年1月17日に“ユニコ舎”という小さな出版社を設立した。
最初に手がけた書籍が映画作家の大林宣彦さんのメッセージ集「キネマの玉手箱」。大林監督は私が編集長を務めていた雑誌のコラム執筆者であった。大林監督は2016年に肺癌で「余命半年」を宣告されている。しかし、不撓の精神で病と闘い、余命を遥かに超えて「花筐/HANAGATAMI」と「海辺の映画館―キネマの玉手箱」を完成させている。昨年8月28日、私は大林監督に「その過程を私たち有志で本にさせてください」とお願いすると、大林監督は笑顔を見せて「断る理由が見つからないね」と快諾してくださった。「海辺の映画館―キネマの玉手箱」は今年4月10日に公開予定であったが、コロナウイルス感染症拡大のため延期になった。大林監督はまさにその日、4月10日に他界した。ユニコ舎が刊行する「キネマの玉手箱」は4月25日の発売をめざして印刷工程にあり、大林監督に完成品を届けられなかったことは痛恨の極みであった。
当初、私は出版社を起業して「キネマの玉手箱」を刊行しようとは考えてはいなかった。私は図書館利用促進を目的としたNPO法人の理事も務めていたので、そこを版元にするつもりであった。ところが、鶴橋さんに続く、村上との邂逅が、私の計画を大きく転換させる。村上に住んでいる友人の横山隆一君に「大林監督の本は図書館をターゲットに売りたい」と話したところ、「おまえのいたバレー部の先輩がそういう方面の仕事をしていたんじゃないか」と助言をくれると、すぐさま先輩にわたりをつけてくれたのだ。その先輩が佐藤達生さん。TRC図書館流通センターの代表取締役副社長であった。
佐藤さんは本の流通について懇切丁寧に教えてくれた。しかし、「ちゃんとした本を出すのならNPOではダメだ。これから出版業と向き合っていくのなら、その業界で認められる法人であるべきだ。キミには本を出すということの覚悟があるのか!」と厳しく指摘された。先輩の言葉が重くのしかかった。私は生活の糧としていた雑誌の編集長職を辞して、出版社の起業を決意した。出版不況のさなかである。不安は拭えないが、今では鉄鋼不況にやられた父親の敵討ちだと勇んでもいるし、出版業界の恩恵に与ってきた身であるから、出版業界に恩返ししたいという気持ちにもなっている。
村上との邂逅はまだ続く。「キネマの玉手箱」に続いて、俳優・宝田明さんのメッセージ集「送別歌(スンべイカ)」の出版計画を進めているのだが、宝田さんの故郷は村上である。いや、正確には朝鮮半島生まれで、満州育ちなのだが、終戦後の引き揚げでめざしたのが祖先の眠る村上だった。宝田さんは村上での出来事も話してくれた。

冬になれば商店街は雪に埋もれて、その高さは僕の背丈を超えていました。生活費を得るため母は汽車に乗って魚を仕入れてきます。大町か小町あたりの商店街に面した家の軒下を借りて、雪の上に仕入れてきた魚を並べて、母とふたりで売りましたが、お客さんの姿は僕の頭上にあるのですから、なんともいえない奇妙な光景でした。その商店街の突き当たりには益田書店があり、そこを右に曲がると役場があって、その少し先が村上本町小学校。僕は魚を売りながら、学校を行ったり来たり…。学校にいないことで先生から叱られたことはなかったですね。僕が母を助けて働いていることを知っていたからでしょうね。

私が子供の頃には商店街の道路には消雪パイプが埋設されており、雪が背丈ほど積もることはなかったが、商店街の突き当たりにある益田書店、そこを右に曲がったところにあった木造の市役所、さらにその先にあった木造の村上小学校…宝田さんの見た町の様子は私の記憶にも残るものだった。
私は今年、還暦を迎えた。村上で過ごした時間は人生のひと欠片である。だが、その欠片が今、大きな塊となって目の前にあることを実感している。



工藤 尚廣
(くどう なおひろ)
村上小学校、村上第一中学校
村上高校(31回生) 
明治大学卒業。
学生時代から編集業に携わり、クルーズマガジン「船の旅」(東京ニュース通信社)、テレビ情報誌「おとなのデジタルTVナビ」(産経新聞出版)の編集長を歴任。書籍では「世界に乾杯!」(アグネス・チャン著)、「不思議航海」(内田康夫著)、「テレビの国から」(倉本聰著)などを企画。
2020年1月、株式会社ユニコ舎を設立。「キネマの玉手箱」(大林宣彦著)を刊行。今冬、「送別歌(スンベイカ)」(宝田明著)を出版予定。
神奈川県大磯町在住。








「キネマの玉手箱」
  参照:ユニコ舎https://unico.press/








 2018年6月に行われた村上高校同窓会関東支部総会で登壇された鶴橋康夫さん(写真上)。恒例の校歌斉唱で壇上中央にいる鶴橋さん、その左に筆者(写真下)。
写真提供:村上高校同窓会関東支部/撮影:丹田安夫
さん







宝田明さんと共に筆者

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