http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001
2009年7月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.97


懐かしいお城山 三面川

山田しづ子(旧姓秋山)
(やまだ しづこ) 
富山県福野小学校 昭和30年卒業
村上高等学校 昭和36年卒業
仕事・・・大阪音大のピアノ科卒なので 若い頃はピアノ教師として個人レッスンを主にしていたが、子供が成長して40歳代で甲子園短期大学で幼児教育科の非常勤講師として15年ほど携わる。その間やはり40歳代から保護司を拝命し現在も続ける。又還暦後は地域のコミュニティーの役員やコーラス指導などで、現役時代より多忙な生活になっている。



高校2年の秋

前列女子の右から2人目が筆者

裏にはその時の文章があります



シルバーコーラスの仲間たち
指導指揮をしています。前列左から3人目筆者



書の先生と仲間たち
左から3人目筆者



保護司仲間
一番左の黄緑色の服筆者
 村上を後にしておよそ40年。関西に暮らし現在は神戸に住んでいる。しかし私の中にはいつも村上が在るような気がする。
私が村上で生活したのは 村上中学と村上高校の6年間だった。
村上は母の実家で、小学校の頃私たち家族は父の転勤で大阪や富山で暮らしていた。そして夏休みになると1ヶ月は祖父母の家の村上で過ごしていた。この1ヶ月が私には貴重な体験をいくつも味わわせてくれた。祖父母はもともと教員だったこともあり夏休みの宿題にお城山で植物採集をさせてくれ、草の名前などをよく教えてくれた。又手芸の作品作りも教えてもらい、ひまわりの模様のアップリケを施したクッションをいまだによく記憶している。夏の午後は親戚の子供達と三面川に泳ぎに行くのがとても楽しかった。吹流しが上がっているのを見ながら、石ころだらけの川原に浮き浮きしながら到着したものだった。
私が泳ぎを覚えたのはこの三面川でだった。必死な思いで水の中で目を開けて石ころを拾ったのを思い出す。又 夜になると家の裏の方から聴こえてくる笛の音は七夕まつりの練習が片町の庚申堂で行われていたのだった。あの音色はとても心に残った。
暑い夏の一目 東京から夏休みでやってきた叔父 叔母や従兄弟たちと行った笹川ながれの岩だらけの海も大切な思い出のひとつだ。
このように育った私は中学に入学する時に家族から分かれてその当時祖母だけになっていた村上の家に単身赴任?してきた。祖母の父は旧村上中学(現村上高校)の校長をしていた人で金沢雷蔵といった。私の父の転勤が県を越えての移動が頻繁で、落ち着いて勉強の出来る環境を考えた両親の配慮で祖母に預けられたのであった。それまでの夏休みの積み重ねがあったおかげで、生活環境の変化にも動じる事はなかった。それどころか新しくできた友達とお城山探検と称して正規の七曲ではない道を探して登ってみたりして大いに遊びまわったものだった。その後村上高校に入ってからは部活動(音楽部)でもクラスの皆とも何かあるたびにお城山に駆け上ったものだった。頂上から見下ろす村上の町は下渡山の前を流れる三面川を中心に春には黄色い菜の花があちこちに点々とあったことが昨日のことのように目に焼きついている。
今では三面川の(村上の)鮭もかなり名が売れて 時々はテレビの報道に取り上げられているのが嬉しいかぎりだ。私も毎年実家からの贈り物としてこの“塩引き鮭”を楽しみにしている。神戸の友達にも自慢できる逸品だと思っている。
村上という町は落ち着いたまち並み 穏やかな人情 海の幸山の幸 故郷に必要な全てが揃っているように思える。今住む神戸には30年という人生の約半分を暮らし、この地が第二の故郷になったが 村上の思い出は私には大切な第一の故郷である。
 
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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