http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2008年8月号

  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.86

研究者を育ててくれたふる里の環境
中村 和憲
(なかむら かずのり)
昭和35年村上市山辺里小学校卒業、(独)産業技術総合研究所首席評価役、(株)J-Bio21専務取締役、工学博士、つくば市在住



昭和41年卒業式の後、お城山で




高校時代、間島海岸でキャンプ



その40年後、家族と間島海岸で遊ぶ


今年、妻と次女とシンガポールの友人を訪ねたときの写真

 村上市といっても片町と山辺里川を挟んだ旧山辺里村で生まれ育った。小さい頃は体も弱く、皆が野球などをやっていてもその中には入れずに、いつも違った遊びをしていたような気がする。小学生の時にはツベルクリン反応が陽転した時に、結核の疑いから水泳などが禁止され、暑い夏休みに蝶々を追いかけていた。今でも羽を畳んだ瞬間の裏銀ヒョウモン蝶のまばゆい光が目に浮かぶ。
 昆虫採集から始まって、切手集め、古銭集め、化石採集、矢じりや土器拾い、小学校4、5年から中学校の初めまでは男に特徴的な収集癖を満足させるとともに、顕微鏡でミジンコを観察したりして喜んでいた。中学の中頃からは、自作の火薬を使った花火作りやロケット遊び、今であれば先生から大目玉を食らったと思うような遊びにも興じていた。たまたま叔父が獣医をしていたため、ストロンチウム塩、コバルト塩、硫酸銅など、赤や青い色を付けることができる薬品が手に入ったし、小さな玉を打ち上げるためのマグネシウムパウダーなども手に入った。叔父も一緒になって手作り花火大会をやったなど今では信じられないような経験である。
 その間、あるいはその後も模型飛行機や模型のエンジン(当時は小さなエンジンが回るだけでも楽しめた)、ラジオや無線機作りにいそしんでいた。当時アマチュア無線の免許を取るには長野か仙台まで行く必要があったため、そこまでして免許をとる気もなく、違法な海賊電波を流して喜んでいた。これも今では考えられないことである。そう言えば、小学校や中学校の頃の理科のテストはほとんど勉強しなくとも、100点近くであったが、こんな事ばかりしていれば当たり前である。

 中学生の頃の夏休みは本当に楽しかった。ほとんど毎日、ジャガイモやトマトを持って三面川に行き、泳いだり、鮎やウグイをモリで突いたりして遊んでいた。ジャガイモや捕った魚をたき火で焼いて、トマトは清水が湧いているところに冷やしておいて、昼飯代わりに食べて夕方まで過ごした。カミソリ岩から飛び込んだり、岩の周りの渕に潜って底まで潜れるかどうかで勝負したり、上流まで歩いていってから流れにのって下ってくるといったことが本当に楽しかった。渇水したときにできる水溜まりは温水プールのように温かく、冷えた体を温めるのにちょうど良かった。
 就職するときにたまたま受験した公務員試験に受かり、受かった後に国にも研究所があることを知り、研究できるのであればどこでも良いと思い千葉の小さな国立研究所に入所した。その後つくばに移転し、経済産業省傘下の研究所が統合され、現在は独立行政法人産業技術総合研究所という巨大な研究組織になっている。このような世界で、学卒の人間が、研究者としてまた大学の教授(兼務)としてどうにか生きて来られたのは、本当に小学、中学頃の経験の賜物と育った環境に本当に感謝している。取りあえず今年の3月で定年を迎え、現場の研究者は卒業し、少しほっとしているところである。今でも毎年、笹川流れ当たりでスノーケリングを家族全員で楽しんでいる。

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

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佐藤 敦子
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