http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2008年11月号

  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.89

私を育てた上片町
山本 宏平
(やまもと こうへい )
村上小学校 昭和34年卒業
昭和40年上京 鉄建建設(株)入社
現在は千葉市美浜区在住 
東明興業(株)勤務



小学生の頃、お城山にて(右弟と)






平成19年9月家族全員で
田舎帰省(右端筆者)






平成13年1月12日発行
「上片町三百年記念誌」





宝暦元年(1751)頃 上片町住宅絵図
 昔の事を憶い巡らせば、素晴らしい自然が身近にありすぎ、又、伝統に培かわれた行事、習慣が溢れた中に一時にせよ身を置いたものとして、ひとつひとつが大切なものとして、今の私自身の人生の基点となり、人間形成に大なり小なり、かかわっていることが疑う余地もなく、ふるさとの意味、有難さが、しみじみと年を追う毎に感じさせられます。
 私は昭和22年生まれ、ベビーブームの真ん中の世代であったので、今とは考えられないくらい子供が多かったそのせいか、街中が子供の声、姿に満ち溢れ、決して全体的に豊かではなかったが活気だけはあった。小学校に通う時は七・八人づつ上級生の統率のもと集団登校、学校へ行きたくなくても、○○ちゃん学校に行こうと集団で待っている。
 学校の昼休み時間、ブランコの周りが人だかり、いつになっても乗れない。ベルが鳴って誰もいなくなってから乗りたかったブランコをやっと乗って先生から怒られたこと。
 夏休みに入ると半月ぐらいだったか、希望者は瀬波の臨海学校に行くことになり、毎日近くの友達と三面川の土堤伝いに道草しながら歩いて行くのだが、朝食もそこそこに茄子の漬物丸ごと口に含み、茄子の実をうまく出し皮だけ残し、それを舌にかぶせて口を空けてビックリさせ、笑いころげながら犬コロの様に走って行った事が妙に、早朝の三面川の河畔と白い一本道の風景が頭に浮かんでくる。
 臨海学校では海で泳いだり、昼寝したくらいしか憶い出せないが、その頃、泳ぎの時間中は低学年であったせいか、男の子も女の子も白いパンツ一丁と云う身軽さであった。今でも不思議に思うのだが、村上小学校は給食が無かった。自分のところは商家で米屋だったが、家族がたくさんいたせいか、親には感謝しつつも、弁当の中身は大方の家もそうであったように寂しかった。でも学校では養護学級と言うクラスがあって、湯気の立つご飯に熱い味噌汁が目につき、窓越しに覗いて羨ましく一度は給食と言うものを食べてみたいと思うのは私だけであろうか。
 ここで私の生れた上片町を皆さんに紹介したいと思います。上片町は今から遡ること308年前(元禄13年西暦1700年)片町よりわかれ現在に至っております。何年か前に町内の有志が編纂した「上片町三百年記念誌」なるものが刊行されました。その中には町内の先人達が残した業績の数々、身近な生活習慣、古文書が集められ、良くぞこれだけのものを今迄何百年散逸もせず残しておけたものかと驚嘆に値する。興味深かったものは、年代に亘っての軒付帳、当主の名前といろんな職業が細かく書かれており、一目で町内の様子が手に取るように分かる。又、町内には○○様と呼ばれる旦那様、有力商家が育ち、その変遷、盛衰も記録に残されている。
 世には国史、地方史、社史など様々な歴史書があるが、身近な町内史など有るとは聞いたことがない。これぞ吾々が普段つつましく生活し住んでいた町の息吹が身近に感じられる町史ではないでしょうか。私は改めて、この素晴らしい上片町三百年誌を誇りに思うと同時に、世界遺産に匹敵するものだと信じております。
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

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