http://www.murakami21.com 村上広域情報誌2001 2007年2月号

   リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.68

イヨボヤとオシャギリ

 昭和21年3月現、北朝鮮(旧朝鮮総監督府江原道高城邑長里)より、ロシア兵から逃れて幾度となく失敗し命からがら親子6人村上久保多町に引き揚げてきて、村上小学校2年に編入、村中、村高卒業までの11年間に海の幸、山の幸、川の幸に恵まれた歴史の街村上で我が青春を謳歌することが出来た。
昭和32年に村上を離れて今年で50年、月日の経つのは早いもので、来年は古希を数えることになる。

 ふるさと村上は、近年全国的に名が知れて来ているが、堆朱、お茶、酒もさることながら、何と言ってもシャケ、オシャギリに代表される。
 実家が久保多町なので清流三面川に近く、水鏡で鮎捕り、支流山田川では網で鰻、鯰、鯉、鮒、蟹等をよく捕ったものだ。河口瀬波潟ではハゼ釣り、岩が崎では磯釣りなど想いでは尽きない。
 鮭は村上で現在は一般的にシャケと呼んでいるが、根っからの村上っ子はイヨボヤである。最も馴染みのある呼び名のイヨボヤ(ヨーボヤ)はイヨもボヤも魚を表す言葉なので村上の鮭は、魚の中の魚と言われる所以である。
 ヨー、イヨ、ヨーボヤ、メナ、カナ、イワタ、ハラコは村上特有のサケの言葉である。
 我が家でも暮れには塩引きを取り寄せて、軒に吊り下げるが、村上特有の北風が吹かないので余り良く仕上がらないがハラコとともに正月には欠かせないものである。特に歳夜(大晦日)には塩引きを食し、三が日のお雑煮にはハラコが付き物である。残念なのは、お袋が亡くなってから、氷頭なます、飯ずしが無いのが寂しい限りである。

 一番の想いでは<まつり>である。
お祭りのお天気を占う夏越様〔6月30日〕頃になると、胸が騒いで今でもオシャギリのお囃子や、盆歌を自然と口ずさんでいる。
 ハアー河内さーま、よく聞き分けて、二度と頼まぬ、ドコイサノサッサ今一度、と盆歌にある河内神社は肴町の本間喜惣兵家が管理していて、我が家とは何の縁もないが、同姓なので特に親しみ感じている。
 因みに、河内神社は、朝日村宮の下に一ノ宮があり、末社45社を数える、水神信仰としての川神を奉った社で本地仏は釈迦如来と言われている。
 7日午前0時羽黒様の先太鼓が「ヤレカカ起きれオコワママふけた」ふれまわると一番オシャギリ〔屋台山車〕、くーたまち(久保田町)の家々の軒先に提灯が点る。秋葉神社神主のお祓いを受け町内を一周して、隣町、庄内町境で荒馬14騎を待つ、荒馬イヤヘーの掛け声で稚児行列が先導して、伊勢神宮を奉った一番オシャギリ久保多町の屋台が羽黒神社に向かって繰り出す。
 見物人も最も楽しみな小町坂では、二度三度上がり下がりを繰り返しながら上町(うわまち)に曳き手もきついながら一番醍醐味のあるところである。
 最も華やかなは、煌煌と提灯を灯した19台の屋台(ダシ)が盆歌にあわせて右に、左に、上に、下に、手木を揺らして進むさまは、当に祭りの一番の見所である。

 今年は50年振りに屋台を曳きに行きたいと思っている。
また、今年は村上郷友会の設立130年の節目の年、130名位集まって盛大に記念パーテーをやりたいものです。

河内 勝彦
(かわうち かつひこ)
昭和26年3月 村上小学校卒業
相模原市在住・会社役員






平成18年村高関東支部同窓会
同期メンバー
右から5人目(筆者)








大学の同級臼井法務大臣と
左から2人目(筆者)
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

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