月日の経つのは早いものでもう師走を迎えてしまいました。
今年最後の担当となりますのでこの一年「希望の扉」を通じて体験した、人との関わりに焦点を合わせお話することにいたします。
八月六日、十三日と二回にわたり「私の戦争体験記(少年時代の記憶から)」が本紙に掲載されました。第二次世界大戦の真っ只中、十歳前後の少年だった私の目から見た世の動きを、思いつくまま、現在を生きる当時の私と同じ年齢位の子供達に戦争の恐ろしさ、惨めさを伝えおこうという目的で記したものでした。
この記事が回りまわって戦後の混乱期の二年間、学業に遊びに熱中した三鷹第二小学校時代の旧友の目にとまるところとなり、およそ六十年振りに学友達と再会するきっかけとなりました。
十一月下旬のある日、吉祥寺駅の近くのホテルでその会合がありました。名前をかすかに覚えている者、顔も全く記憶にない者等が二十名程集まりました。
話が進む内に皆すっかり往年の小学生時代の学友に戻り、バイキング形式の会合はなんと五時間を超えても尽きないものとなっていました。
学校への途中に幅一メートル強程の清らかな水が流れる小川があって、みんな順番に飛び越えあって度胸試し的に楽しんだこと、欄干のない橋の上で渦巻く流れをじっと眺めている内に目が回ったのか頭から川へまっさかさまに落ち込んでずぶぬれになった私の話、多分子供の背丈のためであったのであろう校門の桜の木の隙間から見える富士山の高くて雄大な姿の話、思い出はつきることがありませんでした。
何よりも嬉しかったのは、皆同じに年をとった顔をしていたことで、あの時かわい子ちゃんだった女の子達も相応に美しく老けていたことに何故か安堵したものでした。
四月二十三日号には私のふるさと新潟・村上市の市民が発行しているインターネット情報誌の一コーナーで私がお手伝いしている「(リレー随筆)鮭っ子物語」について紹介しました。
鮭の遡上で有名な村上を離れて全国各地で暮らす郷友達に、鮭の稚魚が大海で育ち再び母川に戻って地域に潤いを与えていることにヒントを得て、ふるさとへの心の応援歌的な意味合いを込めてリレー式に随筆を書きつないでもらうというものでした。
先日この郷友会の忘年会が麹町で行われ、異年齢の友人達と時の経つのも忘れふるさと談義に花を咲かせたところです。友は同・異年齢を問わずありがたいもの大切なものとつくづく感じた次第です。
この一年、本欄を通して読者の皆様と「人づくり」をテーマに考え合い、交流出来ましたことを心より感謝申し上げます。
それでは皆様良いお年を。
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