2023年11月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.241


新聞奨学生の日々

臼井 潔人
荒川町鳥屋出身
1956年12月15日生まれ
金屋小学校、荒川中学校、村
上高等学校を経て、1976年
4月早稲田大学商学部に入学。
1980年4月商船三井(当時は
大阪商船三井船舶)に入社。
2020年4月に退職し、現在は
海事史研究家として活動中。
埼玉県所沢市在住。



筆 者







葛西の新聞店前にて。
後列左端が筆者
 新聞奨学生という制度がある。経済的に進学が難しい学生(大学生、専門学校生、予備校生)に対し、新聞社が入学金と授業料などを奨学金として貸与し、学生は新聞配達をしながら学校に通い、契約期間を満了すれば貸与金の返還が免除されるという仕組みである。朝日、読売、毎日、産経、日経などの大手新聞社が奨学会を設立している。
 筆者は昭和50年に村上高等学校を卒業、親に無理を言い1年間新潟市内の予備校に通わせてもらい、51年3月に上京。東京都江戸川区葛西の朝日新聞店に配属され、3年間新聞配達をしながら大学に通うことになった。
 当時の朝日新聞の大学生向け奨学制度は、入学金と3年間の授業料を奨学金として貸与され、3年間新聞配達を続ければその間の貸与金の返還は免除され、4年時の授業料が支給されるというものであった。さらに、4年間勤務すれば中国旅行に招待してくれるという特典もあった。昭和47年9月に日中の国交が正常化し、中国への関心が高まっていた頃であった。
 新聞奨学生の業務は朝夕刊の配達に加え、配達区域の集金と拡張(セールス)などであった。
 朝は4時半に起き、朝刊配達には2時間以上かかった。配達後は新聞店で朝食を食べた後に大学に通い、午後3時半には夕刊配達のために地下鉄に乗っていた。夕刊は朝刊より薄くチラシもないので、朝刊配達よりは楽であった。夕食後に明日の朝刊に折り込むチラシを用意しておくことも大事な日課であった。4時半起床は新聞店のなかで最も遅く、夕刊配達も遅く、読者の皆様には多大なるご迷惑をおかけした。
 待遇であるが、給料が月に6~7万円、朝夕刊の配達があるときは新聞店で食事をし、アパートは新聞店が手配してくれた。部屋は最初相部屋だったが、相方(産経新聞奨学生の予備校生だった)が新聞店と交渉して別のアパートに移ってくれた。産経新聞奨学会は個室手配を明文化していたとか。相方には今でも感謝している。
 新聞店の賄いには思い出がある。上京して最初の正月、元旦の配達を終え店に戻ると、テーブルに鮭の切り身が並んでいた。正月だから店も奮発したなと思いながら食べると、これが塩辛いだけの代物で驚いた。これが東京では一般的な塩ジャケとの出会いであった。正月の塩ジャケに懲りて、翌年からは東京での年越しを諦め、元旦から1泊2日の強行軍で実家に帰ることにした。上越新幹線が開通する以前、上野から村上へ特急「いなほ」で5時間以上かかった頃であった。
 「全国紙といえば朝日」という思い込みで朝日新聞に飛び込んだが、配属された江戸川区や江東区などの東京東部地域は、読売新聞の牙城であった。読売新聞店が読売新聞とスポ―ツ報知(当時は報知新聞)の2紙を扱うのに対し、朝日新聞店では朝日新聞の他に日経、産経、東京を配達し、スポーツ新聞は日刊スポーツ、サンケイスポーツ、ディリースポーツおまけに東京中日スポーツが1部だけあった。さらに、諸紙と呼んでいたが、日刊工業新聞、鉄鋼新聞、日刊自動車新聞、株式新聞などの専門紙も取り扱っていた。このため、各新聞を配達順に組んでいく作業が必要であった。さらに、同じくらいの部数を配達するために朝日の配達区域は読売より広く、朝日と読売では配達員の負担に大きな違いがあった。配達中に顔見知りになった読売配達員の実家は、静岡の朝日新聞店。「東京は朝日が弱いから」と説明してくれた。脱帽である。
 雨の日の配達ほど嫌なものはなかったが、配達は毎日のことであり、徐々に慣れてくるものである。いくら経験しても苦労したのが毎月の集金であった。現在は銀行引き落としやカード払いが多いが、当時は300軒以上の読者を1軒1軒回っていた。
 毎月25日が集金開始日であった。最初に昼間在宅している読者と会社を回り、その後は夜の集金が多かった。集金日の指定が月末、翌月の5日、10日といった読者もいた。毎月20日以上は集金に明け暮れていたことになる。そのなかで、朝日と日経を併読している読者の支払いは良好で、将来は自分も絶対に併読してやると思ったものである。朝日新聞が1,700円、日経が1,900円の頃であった。
昭和54年3月に無事3年間の年季奉公が明け、最後の1年は普通の学生らしい生活を送ることができた。
 葛西との縁は切れることはなく、2010年から朝日新聞店で同じ釜の飯を食べた元新聞青年が、年1回葛西でOB会を開くことになった。7~8人が学生時代から営業を続ける居酒屋に集まり、近況報告と昔話で大いに盛り上がっている。
 日本新聞協会の調査によれば、宅配制度に支えられてきた新聞の総発行部数は、2001年の1,801万部(朝夕刊セット部数)から2022年は593万部まで減少し、新聞店も21,900店から13,800店まで統廃合が進んでいる。新聞店で働く学生数の推移をみると、2001年の16,333人から2022年は3,747人と4分の1まで減少している。奨学生の減少は少子化が大きく影響していると考えるが、経済的に苦しくとも進学の夢を諦めない若者が3,000人以上も大都市で頑張っている。心からエールを送りたい。

 以上


 
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次回予告

 
リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)
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