2022年6月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.224


私の集落と鮭騒動


 私が生れ育った集落は、三面川の中流に位置する戸数僅か二〇軒足らずの旧朝日村中新保である。集落には、江戸時代から引継がれてきた古文書が多数残されており、中でも鮭漁場をめぐる争いから、米澤藩領の中新保、荒屋、岩沢(以下“上流三か村”)が村上藩を相手取った江戸奉行所への訴状など、関係書類が数点保管されている。

 朝日村史によれば、中新保は布部から本間氏が、岩船から髙橋氏が移住して新田開拓に当たったとされている。当時の暮らしは、度重なる川の氾濫と痩せた地味で作物の収量も安定せず、川漁、漆木等に大きく依存せざるを得なかったようである。
 一方、村上藩にとっても鮭は重要な財源であり、藩主榊原勝乗の時代(一六八九)には、鮭漁場を入札にかけ、落札金を運上金として藩に収める制度も確立し、産卵場所を「御留川」として藩直轄の禁漁区域に定め、鮭の保護と増殖が行われていた。ところが、内藤弌信が村上藩主(一七二〇)になった頃から漁獲量が激減し、その運上金の減少は5万石の藩財政にとって大きな課題であった。加えて、三面川の洪水や稲作の不良続き、更には村上、瀬波、岩船の大火も重なり、藩財政だけでなく庶民にとっても苦しい時代であった。

 こうした中、鮭増殖に大きく貢献したのが村上藩士青砥武平治である。武平治が堤役(一七三四)として鮭川に関わる頃は、前藩主の時代に三〇〇両にも達した落札額が五〇両を割り込み、ついに一七三八年には鮭川の入札を停止している。しかし、武平治が堤役・郷村役を終える一七四七年頃には、運上金が一〇〇両を超えるようになった。これこそ、鮭の回帰性に着目した武平治が、鮭産卵場の設定、卵の保護、稚魚の保護といった、いわゆる「種川」を考案した時期ではないかと考えられている。
 一七五〇年前後の村上では、運上金の増収を図りたい藩と、入札額に見合った漁獲高を確保したい町方による、河川土木と漁法の改良が進められていく。しかし、このことで鮭の遡上が減少し、上流漁師とのトラブルも増えていった。特に、持網漁で一円を締め切る漁法が、決定的な対立を招くのである。その後、村上藩では入札条件に「一円締切り持網漁の禁止」「持網漁では川筋を三分の一開けおく」等、資源保護と上流漁師への配慮も含め、数々の厳しい条件を加えていった。しかし、時には水量の減少で川幅が狭まり、川筋の開けおかれた箇所にまで杭を打たれ、幕領地である上流三か村は漁も儘ならぬことから、地代など払う必要無しとして故意に滞納してしまう。更に、禁止された一円締切り持網漁が行われたことから、これに腹を立てた上流漁師が、村上方の漁場に川船数十艘で乗り込み、打杭、ミサラ(簀の子)を残らず切り流すなど実力行使に出たのである。

 この暴挙に対し、村上藩では上流三か村を預かる米澤藩上関役所に通報すると共に、三面川の寺尾集落の下流に「御境」を表す石標の設置と、これより下流の立入禁漁の高札で取締強化を図ったのである。しかし、上関役所に呼出された三か村は、旧村上藩領からの入会漁と生活苦を主張してこれに従わなかっただけでなく、村上藩と町方を相手取り、上流三か村の庄屋連名による訴状を、米澤藩上関預所を通じて江戸勘定奉行所に差し出したのである。
 訴状(一七七三)は、村上藩領の時代から河口近くまで自由に漁をし、幕領地として米澤藩預り(一七一七)になってからも、地代を払って小屋がけ漁を行ってきた。ところが、藩による入り込み漁禁止の高札を立てられた上に、新番所には武具も備えられて百姓達は恐れて漁を差控えている。また当年は作物にも虫が付いて不作となり、これでは年貢上納も難しく大変難儀をしている。ついては、従来通りに漁ができるようにと願い出た内容である。

 裁定は(一七七五)幕領三か村が村上藩領普請所に、勝手に小屋がけしたのは不埒であるとして、上流三か村に過料が申し渡され中新保には二貫文(約二万五千円)の支払いが命ぜられている。なお、村上はおとがめ無しとし、これに背けば重課に処すとの敗訴のお裁きである。しかし同年、村上の名主、年寄、町代と上流三か村の庄屋が協定を結び、「地子(地代)料差し出すなら格別許す」として評定所に届け出て、従来通りの漁ができるようになった。

 互いの生活が豊かであれば生じないトラブルも、一本の川に上る鮭に頼らなければならない村上藩、町方、上流三か村の厳しい事情が作用した事件ではないだろうか。
 私の小さな集落に残る二四五年前の訴状の下書きから、農民が他藩の殿様を相手に起こした行動に、それでも鮭漁に頼らなければならなかった先人達の生活苦を垣間見たような気がする。


高橋 光顕
(たかはし みつあき)
昭和27年12月23日 旧岩船郡朝日村中新保(現村上市中新保)にて誕生
昭和46年3月 県立村上高等学校 卒業
昭和50年3月 北里衛生科学専門学院(3年制) 卒業
昭和50年4月 東京江戸川区役所に入区
江戸川保健所試験検査部門にて、主に行政検査(食品・水質・ウイルス)を担当
平成23年 感染症対策強化に向け、感染力の高いウイルス等を扱う陰圧室(BSL3)を設置するとともに、地方衛生研究所全国協議会に加入し、名称も江戸川区保健衛生研究センターと改め初代センター長を務める。
平成25年 江戸川区役所を定年退職
平成26年 江東区保健所試験検査部門にて、臨時職員として現在に至る。





筆  者













筆者(日光戦場ヶ原にて)














 
江戸勧業奉行所に差し出した訴状の下書き(所蔵:中新保集落)


参考資料  一、髙橋甚四郎氏(中新保)の集落史編纂資料
二、一般財団法人村上城跡保存育英会「お城山だより」より
  歴史研究家 本間哲朗氏の掲載文


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