2022年1月号
  リレー随筆 「鮭っ子物語」  No.219



兼続軍に追われて


 NHKの放送番組に「日本人のおなまえ」とか「ファミリー・ヒストリー」があり時々面白く視ている。歳を取ると、自分のルーツを知りたくなるのは何故だろう。
 村上市内には溢れる程に「本間」姓の家がある。私は学生時代の夏休み、村上市内の酒店のバイトで酒やビールの配達の仕事をした。上海府の民宿にも配達したが、その集落は殆どが「本間」姓で、屋号を確認しながら配達するしかなかった。そんなことから「荘内も近いし、明治の世になって苗字が許されたことから、酒田の有名な本間様にあやかってみんなで「本間」姓を名乗ったのに違いない。先祖が岩船町の我が家もきっと同じだろう。」と思ってそれまで生きてきた。
 しかし、十数年ほど前に、歴史に詳しい親戚の話を聞いて、それは間違いだと知った。
 「戦国時代に直江兼続軍(上杉軍)に佐渡島を追い出された本間(四派の内の二派)が、越後北部の海岸淵に散らばったんだよ。それに、町民も農民も昔から姓(苗字)は持っていたんだが、江戸時代には武士しかその姓を名乗ることができなかっただけなんだ。」
 この親戚の話はすぐ裏付けられる。小生は仕事で山形勤務となり、山形経済界の方々と親交を深める機会に恵まれたが、そんな折
「本間さんはどこの本間ですか?」
「はい、私は新潟の村上市出身で祖父は岩船町の生まれです。」
「おー。それなら私と同族だ。私は小国の小玉川地区出身。あなたの祖先よりも我が祖先は山奥まで逃げたんだよ。」
 なるほどその本間さんの話を聞けば、派の中枢に近い方々は兼続軍の追撃を恐れて、山の奥まで逃げ延びたようだ。
 現在になってネットで調べると、兼続軍に刃向い佐渡島を追い出された本間の頭目は、二派とも捕らえられて斬殺されているようだ。 
 私は東北各地を広く転勤して歩いたが、行く先々で名刺を交換する度に「酒田の本間様の系列ですか?」と聞かれる。酒田の本間様は、平泉から秀衡の妻か姉を伴って酒田方面に頼朝軍から逃れた三十六人衆の中に本間が居て、その子孫にあの有名な光丘が誕生したのだと、酒田は山居倉庫の博物館内に説明書があった。山形県内に平泉から回った酒田の本間と佐渡島から回った小国の本間が居るのは面白い。もっと別ルートの本間さんも居ると思われるが、いずれにしても「本間氏」は、元は相模の国に生じ全国に広がったらしい。
 今から九年ほど前、これまで私とまったく親交の無い東京の親戚の本間(私の曾祖父の姉の家系)から突然、「祖父を亡くしたら自分たちのルーツを知る者が居なくなった。是非教えて欲しい。」と手紙で私に依頼があった。祖父・祖母以降のことならある程度知ってるが、それより前の先祖のことは全くと言ってよいほど知らない私なので、知っていそうな親戚に助けを求めた。私としても、先祖を知る良い機会と思い、手紙の主が村上を訪れるチャンスをお膳立てし、昔を知る親せき宅で、私も同席して話を聴かせてもらった。
 その結果、我が直系の本間の初代は1820年に没しているなど、それ以後のことは諸々判ったのだが、初代がどこの本間から分家したのか、その本家が、1589年に佐渡島を追われて岩船に逃げてきた本間の直系なのか、何も判らない。肝心の菩提寺が過去に火災にあい、昔の記録が全て焼失してしまったとのこと。
 歴史家・作家の加来耕三先生もしくは「天地人」作者の火坂雅志先生であったろうか、過去にその講演をお聴きする機会があって、「作家は、古文書とか古い文献が見つからないと小躍りして喜ぶんですよ。それが見つかると史実に反した嘘は書けない。が、見つからなければ自分なりの解釈で想像を最大に膨らませていかようにも書けるんです。」といった話をなさった。
ならばその手法で我がご先祖様のストーリーを描いてみるとしよう。・・・
 兼続軍が攻めて来るまで、わが祖先は佐渡島で領主様から羽茂(佐渡島南西部)あたりの土地を与えられ、領地を衛りつつ一族で半農半漁の生活を送っていた。それが、島内の他の本間と領地をめぐるいさかいに明け暮れることとなり、それを鎮める口実で佐渡島領有をもくろむ兼続軍(上杉軍)の侵攻を許すこととなる。1589年、兼続軍に刃向う側についたご先祖様は、良く戦ったがついに敗北。生き残った一族で、命からがら夜陰に紛れて小舟で越佐海峡を渡り、越後北部に逃げ延び (そこは兼続軍の本拠からは遠いが、領主の本庄繁長は当時「親上杉」ではなかったか?)細々と隠れるように自給自足の生活を営む。やがて豊臣の世になって、上杉が会津に兼続が米沢に移封されると安堵し、隠遁生活から脱却して岩船の街の片隅に居を構え、海産物の加工・販売を生業とする。江戸時代に入って天明・天保の大飢饉も、農村ほどではないにしろ干物をかじってしぶとく生き残り、本間の姓を繋いできた。・・・・・のではなかろうか。


本間 弘信
(ほんま ひろのぶ)
)昭和42年 西神納小学校卒
昭和45年 岩船中学校卒
昭和48年 村上高等学校卒
現在    仙台市在住












筆者近影・松島湾でハゼを釣る(R3.11.4)












松島湾の日の出(R3.11.4)










新潟在住時(S58.5)
岩船灯台下でアブラコを釣る

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