リレー随筆「鮭っ子物語」 No.1
             
               我がふるさとの恩師の教え

                                  赤見 市郎(あかみいちろう)  
 祖父の代から東京・東大久保に居を構えていたので、私もその地で生を受け、東京大空襲が始まる直前の国民学校一年生半ばまで育ったのであるが、先祖が越後・村上藩にお世話になっていた関係で、東京のど真ん中にいても幼い頃から、例えば幼稚園入園先のことから大相撲のひいき力士のことまで、徹底して「越後人」として育てられた。

 縁あって、小学校五年生の後半から高校二年生までのおよそ七年間にわたりその村上で生活することができた。この事実が私のふるさとはこの地と決定づけることとなった。今は、新潟県村上市となり県北にあり、三面川の鮭と堆朱のまちとして発展している。

 私が村上小学校を卒業したのは、戦争の傷跡も少しずつ癒えて復興の兆しが見えはじめた昭和25年のことであった。卒業式の日、級友達と校長室を訪ね校長先生から記念のサインをいただいた。

 小さな紙に毛筆で

健と美とそして聡明と 
   一九五〇・三 松田 直司

           と書かれてあった。


松田 直司校長先生のサイン

 私はこのサインがとても気に入り、50年の年月が過ぎた今でも宝物として額に入れ自宅に飾って置くことにしている。
 

シドニーオリンピック日本柔道(男子)監督
山下泰裕氏等と共に(筆者向かって右)
柔道選手団の最終調整練習場となったシドニー菅生学園トレーニングセンターにて
                2000年9月19日


 先生は長い人生を有意義に送るために大切なこととして、「健」「美」「聡明」の三っの言葉を提示してくれたのであるが、私は中学生の頃から今日まで次のように理解して座右の銘としてきたものである。

 すなわち、「健と美」とは「健康な体と美しい心の持ち主であれ」、「聡明」とは「感性豊かな賢い人であれ」と。いずれも現在の事情にもぴったりの提言であり、先生の洞察力に心から敬服している次第である。

 私は教育長時代、市内小学校・中学校の教員達にこの話を何回となく持ち出したことがある。それは先生の教えの中身もさることながら、子供たちにいつまでも思い出に残るような教師になって欲しいと強調するための教材としてであった。

 松田先生は故人となられたが、その教えと面影はまだ私の心の中で生きているのである。
         
筆者略歴
村上小学校卒業(昭和25年3月

前東京都あきる野市教育長
元東京都市教育長会会長
現学校法人菅生学園(東海大学菅生中学校・高等学校、多摩学院幼稚園)常勤理事


次回予告
リレー随筆「鮭っ子物語」
    鈴木 富夫さん
       元週刊現代編集長、
         前講談社取締役・現顧問

リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。      (編集部)

 ふるさとの情報を週刊であなたに

  地域と共にあゆむ
     
村 上 新 聞
   地方発送承ります(月1,000円送料込)
 株式会社
村上新聞社
 〒958-0842 新潟県村上市大町2番11号
          Tel 0254-52-2201
岩船広域情報誌
2001 目次