リレー随筆「鮭っ子物語」  No.8

     「望  郷」


自然界を生き抜く花や木々、そして私やここに居る仲間達と違う野生の動物達は、生まれ育った土や水、そして空気によって大きく変化し形を成す。

ここ2週間前までは珍しく、私の居るこの場所に人の気配を感じた。何事かと思い、外に出てみると、そこには今まで見た事も無い、(あるいはそれが当然のごとく受け止めていたのかも知れないが…)木々達が皆、思い思いに紅く染まっていたのである。同じ種類の動物であっても持って生まれた地肌の色が違うのと同じように、そこには微妙に異なった思いの様が映っていた。

人間達は、そんな自然界の変化を長い長い冬が訪れる前に、一目見ようと、私の居るこの小高い山の麓に集っていた。そう、私にとってここでの出来事は何もかも初めての事だらけなのである。そしてこんなに人間を客観的に、あるいは自分の育った環境を懐かしむ事など、一度も考えた事が無かったから…。

山田さくら 13歳。メス (シーズ犬)。ちなみに生まれは東京都港区赤坂。私がこの地にやって来たのは13年前、春。山田家からちょうど裏手に見えるお城山の桜はちょうど満開の時期だったのが今でも印象に残っている。そんな時期に私はこの家族の一員になる事を余儀なくされたのである。というのも自分の気持とは裏腹に家族の言い出しっぺが「桜の季節に来たんだから、名前は“さくら”で決まり!いい名前じゃな〜い」なんてとんでも無い事を言い放ったからである。…寝たフリしておこう、そんな状況だった。そしてそんな私の行動が、幾分か弱く見えたのか山田家の人間達はここぞとばかり自分達の食べ物を与え始めたのである。その後の私の食生活に大きな影響を与える事も考えせずに…。

住めば都。私はこの言葉が大好きになった。何故か?それは他の犬達がドッグフードを毎日毎日顔色も変えず食べているのを裏目に私は13年、人間と同じ物をあるいはそれよりも上等な物を食べていたから。だからもちろん、私はその時々で顔色を変えたり、ねだったり、はにかんだり…そんな心の叫びを訴える事が出来るようになったのである。私がそんな中で最も愛したのは、お婆ちゃんとお母さんが作る“ささだんご”、そして三面川で獲れた“鮭”だった。

“ささだんご”はやっぱり家で作ったものが一番美味しい。(一度既製品のものを食した事はあるが、作り手が分からないと味が半減する。)お母さんが笹を採って来た時から薄目を開けながら狙い、蒸かしたてを失敬する。失敬するという行為は常習犯ゆえ、スムーズに行くというものである。笹の葉を食べないように、そして中の餡子が極力つぶれて毛に付かないように頂く、のである。スリリングな事である。

そして“鮭”に至っては色んな食し方をした。特にお気に入りなのが“塩引き鮭”と“腹子”。どちらも炊きたてのコシヒカリと一緒に、こぼれないようにおにぎりにして頂く。“塩引き鮭”はお父さんが縁側に吊るし始めるところから私は見守っていた。嗅覚は敏感なので、その待つ時期がひどく辛く思った事もある。そんな時期を乗り越えてこの“塩引き鮭”にありつけた時は“村上に来て良かった…”そんな思いが胸一杯に広がった。

何気なく行った散歩道。何気なく食していたもの…。今考えると13年という短い月日ではあったが、衣食住のスタイルや物事の捉え方は、その土地の空気や気質が色濃く陰影をさしていた、という事に気付かせてくれた。

私は今、山の麓のペット霊園にて生前を懐かしむ仲間達と一緒にいる。そして自然界を生き抜く物達のおかげで少しは強くなった。今年の初雪はいつだろう。

山田さくら 享年13歳 桜の咲く頃に


リレー随筆「鮭っ子物語」は、村上市・岩船郡にゆかりのある方々にリレー式に随筆を書いていただき、ふるさと村上・岩船の発展に資する協力者の輪を広げていくことを目的としています。 (編集部)

     





やまだ もとこ
   村上小学校卒業(昭和62年3月
   放送作家













三面川で釣りをする筆者









山田さくら














塩引き鮭の大好きなさくら















次回予告
   大滝 正次(おおたきしょうじ)
     昭和23年村上小学校卒業
     月刊誌「寿」編集長

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